「思い出したくない事」こそ笑いに変えるべき訳 他者を元気にできる「最高のネタ」にもなる
新型コロナウイルスのパンデミックのなかで、あらためて漫画家というのは特異な職業だなと感じています。引きこもって仕事をするという働き方もそうですが、職業に対する理解者がたくさんいるかと思えば、一方には偏見があることも感じるからです。
実はイタリアでは、漫画は"ブルーカラーのためのもの"といった捉え方をいまだにしています。アメリカのマーベル社のコミックスはまさにブルーカラー階級の需要を狙って出版されたものですが、芸術大国のイタリアでは、特に年配者を中心に「金稼ぎの材料として大量に印刷される絵は邪道だ」と思われている節がある。
イタリアにいると、人から職業を問われて「漫画家です」というと「いや、だから本職は?」と問いただされたり、「せっかく油絵を学んでいたのに、なんで漫画を描くようになったの?」という質問を受けたりするのがその典型です。
フランスとイタリアの漫画家に対する理解の差
ところがお隣の国フランスでは、ルーヴル美術館において2016年に「ルーヴルNo.9~漫画、9番目の芸術~」という企画展が開催されるほど、漫画は芸術の1つとして社会的に認められています。
この展覧会には私も「美術館のパルミラ」という、シリアの現状を扱ったセリフのない作品を出させていただきました。ちなみにほかの8つの芸術というのは、絵画、音楽、文学、建築、彫刻、演劇、映画、メディア芸術というものです。
もともとフランス語圏には『タンタンの冒険旅行』シリーズ(エルジェ著)など、「バンドデシネ」と呼ばれる、日本の「マンガ」とはまた違ったスタイルの漫画が発達しています。「大量生産をしない、純粋美術が最も高尚である」という考え方が強固なイタリアとは、漫画をめぐる文化的背景が違っているんですね。
純粋芸術に肩を並べるほどの野心は抱いていませんが、『たちどまって考える』のなかでもふれたとおり、『サザエさん』のような漫画が提供する「笑い」は時に大きな励ましになると私は思っています。そして個人的にも、ただカタルシスを得るだけでない、生きる力をもらえるような笑いはとても大事だと考えているのです。
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