分極化する「アメリカの言論空間」を読み解く術 「逆張り」にだまされないための「定点」を持つ
現代の日本を生きる私たちもまた「アメリカの世紀」に育ち、生きてきた。しかし近年、激しく深刻な党派対立、格差とその固定化、自国第一主義の台頭など「アメリカの世紀」を支えてきた諸要因は、急激に変化しつつある。「アメリカの世紀」がどのような要素から成り立ち、今後どうなっていくのか。
このほど上梓された「新しい『アメリカの世紀』?」を特集とする『アステイオン 93号』の責任編集を務めた待鳥聡史氏が、その読み解き方を示す。
なぜ的外れな論評が生まれるのか
2020年のアメリカ大統領選挙は、現職である共和党のドナルド・トランプが敗れ、民主党のジョー・バイデンが勝利を収めた。それに伴って、副大統領にはカマラ・ハリスが就任することとなった。アメリカ史上初の非白人女性の副大統領である。
トランプは依然として敗北を認めておらず、投票不正があったとの主張を続けるとともに、彼の陣営はペンシルべニアやウィスコンシンといった多くの激戦州で再集計や投票の一部無効などを求める訴訟を提起している。
異議申し立ては法的権利として残されており、一部は認められる可能性があるものの、過去の再集計の実例などから考えて、勝敗が覆ることはまずない。
にもかかわらず、日本国内でもトランプ陣営や熱心な共和党支持者の主張に依拠して、選挙結果が変わる可能性がそれなりにあると論じる見解に時折出くわす。大部分はツイッターなどでの個人の感想や願望にすぎないものだが、経験豊富なジャーナリストや有名作家らが一定の影響力を持つ場でそうした発言をしている事例もあるようだ。
外国の政治については、このようにいささか的外れな論評がなされることが、決して珍しくない。これは日本での議論に限ったことではなく、例えばアメリカやフランスにおける日本政治についての報道にも、かなり珍妙なものが含まれているのは事実である。
大きな原因は、取材体制の不十分さに求められよう。日本の大手メディアがアメリカ政治を取材する場合であっても、人数も予備知識も国内政治取材より圧倒的に少ないことは明らかである。アメリカは最も力を入れて扱っている国であるはずなので、他国についてはさらに厳しい制約があると考えるべきだろう。
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