黒人記者が語る「抗議デモ」と「人種主義」 知らないうちに、死んでるのかもしれません
「暴動は理由なく現れるのではない。私たちの社会には、暴動を非難するのと同じくらい激しく非難されなければならない、ある状況が存在し続けている。そして結局のところ、暴動とは声を聞いてもらえない者たちの言語なのだ」
マーティン・ルーサー・キング Jr.
ぼく自身、および世界の黒人コミュニティが感じている痛みについて「日本の人たちに説明してください」と頼まれると、ぼくはがっかりしてしまいます。人間は同じ痛みを感じるはずで、誰かに「これって痛いんだよ」と説明するのは、正直なところ、人間じゃない相手に説明しているような気分になります。個人的に言うと、「抗議デモや暴動、略奪をする理由がわからない」という人に会うと、ぼくはその人は嘘をついていて分からないフリをしているか、魂を去勢されてしまったのではないか、と思ってしまいます。
それどころか彼らは、知らないうちに死んでるのかもしれない、と。
なぜ白人に抗議デモについて語らせるんだろう
それでも、ぼくは引き受けることにしました。なぜならぼくは、例えば先週TBSが話を聞いていた白人至上主義者のジャレッド・テイラー氏よりも、きちんとした解説ができます。テイラー氏は黒人の知性は白人より劣ると信じ、そう喧伝しています。それを聞いた人は、それならば黒人の命は白人の命より価値がない、と思うかもしれません。それにぼくの場合は、厚切りジェイソン氏のような白人のコメディアン(彼も先週朝のニュース番組でインタビューを受けていた)にはないかもしれない当事者性を持って、彼が公平には語らないかもしれない問題について、洞察とニュアンスをお伝えできると思うのです。
どうしてこの国のメディアは、比率として不自然に大きく黒人たちにのしかかっている問題について、堂々と白人たちの前にマイクを突き出すのだろうって? いい質問です。もちろん、誰でもいいから黒人タレントにマイクを向ければいいわけでもありません。アイクぬわら氏、ボビー・オロゴン氏が単に黒人だからという理由で、何か大事な、言わねばならないことがあるとは限りません。しかし、この国の主要なメディアはなぜ、この問題を語る資質を持っていて、視聴者にわかりやすく話して知識を与えることのできる解説者を、一生懸命探さないのでしょう?
もし日本のメディアが本当に注意を払っていて、もし日本でも「ブラック・ライブス(黒人たちの命)」が本当に「マター(大切)」なら、そういう努力をするでしょう。しかしメディアが白人の考えしか取り上げないのを見ていると、メディアは真実を知りレポートしたいのではなくて、単に状況を理解しようとしているように見られたいだけなんじゃないか、と感じてしまいます。
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