日本人が知らずにしている人種差別の「正体」 「シャイ」という言葉に隠れた恐れ

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あなたも知らずに外国人に対して、「差別」をしているかもしれない(写真:Sadeugra/iStock)

最近、私が日本での人種問題について書いた記事について、日本人の友人と話していたときのこと。彼女はきっぱりと、「悪いけど、あなたは間違っている。日本に人種差別はないわ」と私に言った。

私にそのようなことを言った日本人は彼女が最初ではない。実質的には日本のスローガンのようなもので「日本へようこそ! 人種差別がないこの国なら、きっと楽しい滞在になりますよ!」という確信が心に埋め込まれているのだろう。これに反する意見にはいつだって失望させられてしまう。それもわからなくはない、現代の国際風潮では、人種差別がないというのは国の自慢であり、またそうであるべきだからだ。

日本には人種差別がないという「確信」の理由

しかしこの確信は、ある視点から見た場合だけ本当だといえる。その視点を成立させる考えは2つあり、まず1つ目は、人種差別が日本では事実上ありえないのは、大多数が日本人として識別されるから、とする考え(人種差別は米国のような多人種、多文化国家でしか起こらない)だ。

もう1つは、本の文化や歴史――中には日本人の「天性」を持ち出す人もいる――が寛容な国民性を育んできたため、日本人は非日本人とは違い、人種を理由に嫌ったり、ひどい仕打ちをしたりするようなことはない(テレビのニュースなどで見る、激しい人種差別がはびこるアメリカのようなことは起こらない)という考えである。確かに、この2つの視点だけで見れば、日本には人種差別は存在しないことになるだろう。

が、どの集団においても多数派によって何かの主張が示されるとき、意見が合わない声――特に表面上は同調しようとしている少数派の声――は、多数派の声に合わせるか、不協和音を起こすかのどちらかになるのだが、日本における少数派は、かなり違った声で歌っているようだ。

まず1つ目に、人種差別には全世界共通の定義がないことがある。これは日本に限ったことではない。2つ目は、人種差別はつくりあげられたもの、だということ。当たり前の話だが、繰り返し伝えるべきことだ。それも声を大にして!

では1つずつ、詳しく見てみよう。まず、人種差別には定義がないということについて。

ある行為や態度が差別主義的とみなされるかどうかは、その社会の感覚や文化によるが、日本における人種差別は、人によって異なる定義があるのではないか、という疑念を私は持っている。2つ目は「人種差別はつくりあげられたもの」だということ。当たり前の話だが、繰り返し伝えるべきことだ。

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