豊臣秀吉の「自分アピール」が圧倒的だった訳 「相手がどう思うか」の配慮に長けていた天下人
秀吉が天下人になったキッカケ
”キングオブ出世“といえば豊臣秀吉。
彼が天下人になったキッカケになったといっても過言ではないのが、「中国大返し」。まずはその流れをおさえておきましょう。
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備中高松城を水攻めにしちゃう。
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そんなとき、京都では『本能寺の変』が起こってテンパりまくり。
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「光秀倒すぞ!」と決心。
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光秀を倒すため驚異的な速さで「中国大返し」。
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『山崎の戦い』で光秀をやっつける。
お伝えしたように、「中国大返し」というのは、「奇跡!」とか「神業!」なんて表現が惜しみなく使われる偉業。
〝不可能を可能にする男、秀吉〟の、トリッキーな魅力がこれでもかと詰め込まれた出来事だったんですね。
ただね……という話に移りましょう。
「本当に不可能なことだったの?」
と言われれば、
「ううん、そんなことないよ」
という返答になってしまうかも。
「中国大返し」の1日の最大移動距離は、約30キロと言われてます(35、36、37キロくらいがMAXかな)。
現代人が普通に歩くときの速さは、時速4キロ。早歩きで、時速5~6キロくらい(平均ね平均)。
となると、30~35キロの距離は……
普通の歩行(時速4キロ)では、8~9時間、
早歩き(時速5キロ)だと、6~7時間、
くらいの時間があれば歩けるという計算です(小休憩入れるともうちょいかかるけど)。


















