豊臣秀吉の「自分アピール」が圧倒的だった訳 「相手がどう思うか」の配慮に長けていた天下人

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と、なると、「1日で100キロ走った!」ってのは、

「こんなに大変な思いをしたのはあなたのためよ!」

ということを強調するため、話を盛って書かれた可能性大の文章。

いくら本人談とはいえ……いや、逆にこのシチュエーションの本人談だからこそ、ちょっと信じられないよな?というのがわかっていただけたんじゃないでしょうか。

しかしだな(偉そうにごめんなさい)、

そうなってくると、最後に残る疑問があります。

「1日100キロはムリ? 秀吉が『本能寺の変』を知ったのは翌日か翌々日でしょ? 京都から岡山まで200キロ以上あるのに、お知らせ届くの早すぎじゃない?」

という問題です。

たしかに、秀吉のもとには1日か2日後に「信長死亡」の速報が届いてます。

それに、ここの経緯は詳しいことがわかってなくてですね……

……あれ?

もしかして秀吉は、信長が死ぬことを事前に知っていたんじゃ……?

つまり、本能寺の……「本能寺の変」の黒幕は……!

ってことはないでしょうね。

「信長死亡」はどうやって秀吉に伝わった?

秀吉は毛利攻略という大プロジェクトの真っ最中。

ですから、

「緊急のときのために、信長⇄秀吉のホットラインは準備してたんじゃねーの?」

と、言われてるんです。

安土城⇄姫路城。

だったり、

京都⇄岡山。

だったり。

この間のポイントポイントに使者をスタンバイしておいて、リレー方式で手紙をつないでいけば、お知らせはすぐに届きます。

人や馬の数、走る速度によっては、200キロ以上離れた場所に、1日か2日でお知らせを届けるのも、全然不可能ではなかったんですね。

ちなみに、一般的には、「秀吉が『本能寺の変』を知ったのは〝超偶然〟だった」

ってのが有名です。

<秀吉の陣地に怪しいやつが迷い込んできたので、調べてみると密書(秘密の手紙)

を発見。その密書は、明智光秀が毛利へと送ったもの。読んでみると、信長が本能寺で討たれたことが書かれてあって、秀吉マジびっくり>

って感じなんですが、創作の可能性が高いんです。たしかにちょっと都合よすぎですよね。

というわけで。

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