「社会貢献する人」と「しない人」の決定的な差 「自分起点の社会善」積むトレイルブレイザー達
雨水で身体を洗うような世界で、道端にはストリートチルドレンが眠っている。自分はもともと恵まれすぎていたんだな、何らかの形で人間として還元すべきだと自然と思ったのです。
そこで、新卒でJICA(国際協力機構)に入構し、南米諸国へ青年海外協力隊を派遣したり、バングラデシュやミャンマー、東欧などで、経済特区の開発や産業政策策定に関する案件の企画・担当に従事しました。その後、外資系経営コンサルファームに転職して、一企業の売り上げをどう伸ばすかを考える日々が続きました。
そうなると、自分が社会に貢献しているという実感が薄まってしまったので、手前味噌でも自分にできることで貢献して目の前で変化していくものを体感したいと考え、今は個人的に学生のキャリア形成支援をしています。皆さんはどうですか?
林:私は、学生時代にNPOを作ったことがきっかけです。
シンガポール留学中に東日本大震災が起きて、日本のネガティブなニュースばかりが流れました。なんとかポジティブな面を発信できないかと考え、シンガポールの学生と日本の社会起業家との交流プログラムを立ち上げました。
活動を通してお話を伺った起業家の方は、皆さん生き生きして魅力的でした。また、私自身も団体を運営する過程で、自分で社会に対して働きかけていくプロセスの楽しさを学びました。それが、今やっている町おこしの活動につながってもいます。活動を通して多くの人に出会い、価値観を共感し、お互いを支え合える居心地の良いコミュニティができています。
この本を読んでも感じましたが、社会貢献には、私個人の自己満足のためという面もありますね。自分自身が楽しんだり、やりがいや充足感を感じられていることは、継続的に活動をしていく上で忘れてはいけない観点だと思います。
社会への思いは個人からしか出てこない
樋口:ベニオフさんも、おじいさんがサンフランシスコの街でホームレスを見かけるたびに20ドル札を手渡していた、それが幸せだったから、自分も同様にしたいということを書いていますよね。
また、ハワイが好きだから環境保全に関心を持つとか。ベニオフさんの「ソーシャルへの思いは、パーソナルなものである」というところも、私が共感した大きなポイントでした。
私は小さい頃、アメリカに住んでいて日本に帰国しました。ところが、日本ではみんなが「右にならえ」で、私は異質だったのでいじめられました。
そんな中で、異質であることがハッピーだという価値観があれば、私はもっと安心して楽しく暮らせるのに、という思いを持つようになりました。
そこで生まれた考えが「(異質である)私が生きやすい社会をつくる」だったのです。それが、社会人になってからジェンダーを含む多様性の促進に興味を持つことにもつながっています。
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