吉村家をルーツとする「家系」のラーメンは、職人が修業をして独立(のれん分け)することで店舗が増えていき、技術が伝わっていくスタイルだった。
つねに数本の寸胴で炊き続け、それをブレンドしながら濃度の安定を保つ豚骨スープの製法や、「テボ」を使わず直角に曲げた平ザルを使った麺上げなど、その技術は高く、修業も厳しくて有名だった。さらに横浜がルーツということもあり、東京都内まではなかなか広がらず、都内の家系ラーメンは2000年代初頭で30軒ほどだった。
ところが、「資本系」家系ラーメンの台頭によって事情は変わる。現在、ラーメンデータベースで東京都内の家系ラーメンを提供する店舗を調べると、352軒も出てくる(2020年9月20日現在)。
【2020年9月30日7時35分追記】初出時、現在、東京都内で家系ラーメンを提供する店舗数の数え方に誤りがありましたので上記のように修正しました。
そもそも「家系」という言葉はファンの間で勝手に広まっていった言葉で、商標登録がなされていたワケでもない。家系ブームに乗っかって、2000年すぎ頃から「~家」をつけながらも、吉村家やその系列店の流れをくまないお店がさらに増え始め、ここ5~6年で数社の「資本系」が一気に家系ラーメン店を各地にオープンさせたという図式。中でも「横浜家系ラーメン 町田商店」を運営するギフトは「資本系」家系ラーメンの代表的な存在と言える。
職人がいなくても家系ラーメンを提供
「資本系」はスープや具材をセントラルキッチンで作り、各店に配送することでラーメンが提供できる。伝統をつないできた家系ラーメンのわかりやすい部分を切り出し、工場生産できるように商品開発したことで、各店に職人がいなくても家系ラーメンを提供することに成功したのだ。
むしろ、従来の家系ラーメン店だけではここまで家系は広まらなかったと言っていい。火付け役は「六角家」のように職人が伝統的に広げてきた従来の家系ラーメン店ではあったが、セントラルキッチンで一律に作る「資本系」のビジネス的な成功によって全国・海外に広まっているのである。
いまや伝統の味を守っている「家系」のお店は逆に貴重な存在となっており、筆者も含めて熱狂的なラーメンファンはそういった店だけを求めて食べ歩いている状態だ。すでに一般的に知られる家系の味=「資本系」の味になっている可能性が高く、従来の伝統の味はもう知られていないかもしれない。
家系ラーメンの代表選手だった「六角家」破産のニュースは、ひとつの時代の終わりとともに、家系ラーメンの岐路を指し示している。
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