葵上は気品のある端麗な美しさを持つ人だ。物語を通して、彼女に対して最も頻繁に使われている形容詞は「気高し」と「うるはし」なので、そのようなイメージが強い。「気高し」は品格があり、なんとなく近寄りがたいという意味で、「うるはし」は美しくて整っている様子、少し堅苦しい印象を与える表現だ。
しかし、引用したくだりの中には、「なまめく(色っぽい様子)と「をかし」というふうに描写されており、今までとはまるっきり違う雰囲気が漂っている。そして、色気に敏感な源氏君はひょいひょいとひかれてしまい、今までと打って変わって優しい態度を示す。浮気男が改心して、妻を愛せるようになったのだろうか?当たり前な存在だと思っていた妻が命を落とすかもしれないという危険にさらされているからこそ、より魅力的に見えるようになったのだろうか?しかし、彼はそう簡単には反省するわけではないと、どうしても思ってしまう私なのである。
そして源氏君はハッと気づく・・・
嘆きわび空に乱るるわが魂を 結びとどめよ下交ひのつま
とのたまふ声、けはひ、その人にもあらず変はり給へり。「いとあやし。」と思しめぐらすに、ただかの御息所なりけり。
〔…〕葵上はいつも近寄りにくくて、冷たい眼差しなのに、今はだるそうに源氏君を見上げて、お顔をじっと見つめている。目からみるみる涙が零り落ちそうで、それに気づいた源氏君の心がドキッとする。〔…〕(慰めようとする夫に向かって)「違うの。身体が苦しすぎて少し休ませて欲しいの。ここまでくるつもりはさらさらなかったけど、追い詰められている人の魂は本当に体を抜け出しちゃうのね」と葵上が親しげに言い、
嘆き悲しんで空を飛んでいる私の魂を、どうか結び止めてください
その声と様子は葵上とまったく違って、まるで別人だ。「なんか・・・変だな・・・やばいかも」と源氏君が考えをめぐらし、乗り移ったのはまさにあの六条御息所じゃないか!?
なるほど、そうだったのか。源氏君が葵上に惹かれていたのは、お色気ムンムンの六条御息所の魂が彼女の体に入り込み、表情や仕草がそれによって大きく変化したからなのだ。普段なら冷たい眼差しは、優しさと柔らかさを帯びて、六条御息所のとそっくりになり、合理的でプライドが高い葵上と違って、ありのままの、深い感情を訴えている。そして、その変身は容姿だけではなく、文章の随所に現れている。先ほどの形容詞のささやかなシフトもそうだが、工夫はそれ以外にも色々施されているのだ。
平安人にとって、和歌を詠むというのは、自らの気持ちを率直に表現することを意味していた。それをよく知っている紫式部は、数えきれないほどの和歌を『源氏物語』に差し込んでいった。別れのときも、再会するときも、嬉しいときも、悲しいときも、感情さえあればそれを伝える和歌がもれなくついてくる。
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