「親の宗教」に20年囚われた女性が語る壮絶過去 薬は不可、自宅には「幹部」が交代で同居

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そうはいっても、比較的年齢の近い若者です。おしゃべりをしたり、たまには一緒にトランプしたり、楽しいこともあったのでは?などと筆者は思いましたが、これは申し訳ないほど的外れな想像だったようです。

「そういう雰囲気はなかったです。遊ぶ時間があったら、お互いに『儀式』をしたほうがいい、というふうなので。私も最初は『年齢が近いし楽しいかな』と思おうとしたんですけれど、やっぱり落ち着かない。時間が経つと、その人の悪いところも見えてきますし」

A教では、あらゆることに対して「儀式」が優先されていました。遊ぶことはもちろん、勉強だって、「儀式」に比べればどうでもいいこと。道子さんは学校のテスト前で勉強をしたいときも、思うように勉強はできませんでした。

この間、父親の病状は徐々に悪化していきました。たまに入院をしても、A教の教えにより投薬を拒否しているのですから当たり前です。しかしA教では「よくならないのは医療がよくない」という話になってしまいます。病気を治すため、両親はA教の道場に1カ月ほど滞在したこともありますが、効果はありませんでした。なおこのときの奉納額は、約100万円だったそう。

父親が亡くなったのは、道子さんが高校2年のときでした。これを境に、家に住み込む「幹部」は、ようやくいなくなったということです。

宗教ばかりで、娘の心に目を向けない母への不信感

道子さんはその後、東京の大学に進学します。これでA教を離れられると思いましたが、そうではありませんでした。東京のほうがA教の活動がより活発だったため、一時期はより緊密に、A教に関わることになったといいます。

「でもそのうち、(A教の中に)尊敬できない人もいることに気づき始めたんです。“略奪婚”があったり、家庭が幸せそうじゃない人も結構いたりして、『なんで神様、神様と言っている人たちなのに、こんななのかな? おかしいんじゃないか』って。だんだん違和感が出てきました」

他方では、母親に対する違和感も徐々にふくらんでいました。もともと母親は、血縁のない姉や兄への気遣いからか、あえて道子さんと距離をとるところがあり、「同じ話でも、私が言えばダメと言われることを、姉たちが言うとマルになる」ことが多かったそう。

母親が宗教幹部の言うことばかり聞くのにも、道子さんは傷ついていました。彼女が大学を卒業後、アルバイト先のA教関係者からセクハラ被害を受けたときも、母親は彼女に断りなく宗教幹部に相談してしまい、ますます母親を信頼できなくなってしまったといいます。

「ときどき、いじめ自殺した子の親が裁判を起こした、という話を聞きますが、『うちの親は、そういうことは絶対してくれないだろうな』と思っていました。宗教幹部に相談して『私の汚れのせい』ということにされれば、『仕方ない』って思うんだろうなって」

いつでもA教のことしか頭になく、娘である自分のことを見てくれないし、自分の気持ちにも無関心である母親。それを、道子さんはずっとつらく感じていたのです。

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