難病のホーキング博士が見出した「幸福の指標」 心や思考が自由である限り、人間に限界はない

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“車椅子の天才物理学者”ホーキング博士が残した、数々の言葉をひもときます(写真:Eyevine/アフロ)
21歳の頃、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された、“車椅子の天才物理学者”ホーキング博士。2018年にその生涯を閉じるまで、博士が残した示唆とウィットに富む数々の言葉を、実際に国際宇宙ステーションでも対話をしたことのある宇宙飛行士の若田光一さんがひもときます。
※本稿は『宇宙飛行士、「ホーキング博士の宇宙」を旅する』を再編集しています。

ALSが発症、以前より人生を楽しめるようになった

人生はできることに
集中することであり、
できないことを
悔やむことではない。

(※オフィシャル・ウェブサイトより)

ホーキング博士はケンブリッジ大学の大学院生の時、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたといいます。当時、ALSは発症してから5年程度で死に至る病気と考えられていました。人生これからという若いときにそのような悲劇に見舞われ、どんなに落胆しただろうかと思うと、その悲しみたるや想像にかたくありません。

ただ一方で、ホーキング博士は当時の心境を振り返り、「未来には暗雲が立ち込めていたが、驚くことに以前より人生を楽しめるようになり、研究も進むようになった」(『3分でわかるホーキング』より)とも語っています。

ALSと診断された2年後に結婚し、子どもができて家庭を持ち、やがてケンブリッジ大学の教授になりました。そして、「車椅子の物理学者」として広く世の中にその名が知られ、2018年に亡くなるまで50年以上の研究活動を続けました。難病と戦いながら生きた人生でしたが、研究者として目覚ましいその活躍を考えると、驚くべき展開に転じた大逆転の人生だったと思います。

私は、ホーキング博士の功績には、2つの重要な点があると思います。1つ目は、誰もが認める学者としての比類なき研究成果と影響力。そして2つ目は、難病のALSというハンディキャップを克服し、見事に人生を好転させる偉大な実例を残した、という点です。

もちろん、決してきれいごとではなく、病気は歴然とハンディキャップとして博士の人生のさまざまな場面で立ち塞がり、筆舌に尽くし難い多くの苦労や悲しみも背負っていたと思います。合成音声を使っての意思伝達、日常生活での不自由極まりない状況、そして病気が進行し、いつ命が脅かされるかわからないという不安と危機感がつねにあったわけですから。

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