「今が一番幸せ」と語る女性が結婚前に捨てた物 自由な派遣OLを謳歌した時代から一転

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当時、晴子さんは36歳。人生の岐路だったと筆者は思う。そのときに「ドキドキ」の快楽を優先させていたら現在の生活はない。晴子さんには過去を振り返って自らを客観視する賢さがあった。

「もし彼と付き合っていたら、前の彼氏と同じになると思いました。いかにも恋愛という感じでしたが、その先に結婚はないことは最初から見えたんです。親友にも相談したら、『答えはわかっているよね、晴子自身が!』と迫られました」

晴子さんは冷静さを取り戻すためにもフランスを1人旅して帰国。同じように1人旅をして来た仲間と集まることになった。慎也さんもその1人だった。

「付き合うことは一度断ったけれど、連絡はし合える関係でした。今度は私から紅葉を2人で見に行こうと誘ったんです。嫌そうな顔をされたらダメだなと思っていましたが、うれしそうに応じてくれました」

慎也さんからすれば、一度は諦めたはずの晴子さんが戻って来てくれたのだから喜びはひとしおだろう。交際して2回目のデートでは「オレ、子どもは1人でいいよ。女の子がいいな」と口走ったらしい。晴子さんは「私はまだ結婚するなんて言っていない」と冷めた目で見ていたが、1カ月後にプロポーズされたときには素直に「うん!」と承諾できた。

何かを得ようとすれば何かを捨てる覚悟がいる

「真面目な人だからです。私と結婚する気があるところも重要でした」

結婚後、不妊治療がなかなかうまくいかず言い争いになることもあった。でも、基本的には慎也さんは晴子さんに寄り添ってくれて、息子を大いにかわいがっている。心身が万全ではない両親を心配している晴子さんの希望を取り入れて、晴子さんの実家に通える距離に新居を構えてくれた。

「息子を妊娠中も体調が悪くて、3カ月ぐらい外出できずに家で寝ているだけの時期もありました。そのときも彼は出勤前に洗濯物を干したり、軽い食事を作ってくれたり。この人が夫でよかったと実感しました」

インタビューの最後に、出産してからはすっかりパパとママの関係になってしまったと晴子さんは軽く嘆いた。子どもが小さいうちは仕方ないのだと思う。もう少し時間が経ち、晴子さんに余裕が出てくれば、慎也さんは晴子さんにまた恋をするかもしれない。

恋愛、自由、趣味……。何かを得ようとすれば何かを捨てる覚悟がいる。捨てたものを惜しむのではなく、得たものを少しずつ広げて、新しい喜びを見つけていく姿勢を忘れずにいたい。

大宮 冬洋 ライター

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おおみや とうよう / Toyo Omiya

1976年埼玉県生まれ。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリングに入社するがわずか1年で退社。編集プロダクション勤務を経て、2002年よりフリーライター。著書に『30代未婚男』(共著、NHK出版)、『バブルの遺言』(廣済堂出版)、『あした会社がなくなっても生きていく12の知恵』『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。』(ともに、ぱる出版)、『人は死ぬまで結婚できる 晩婚時代の幸せのつかみ方』 (講談社+α新書)など。

読者の方々との交流イベント「スナック大宮」を東京や愛知で毎月開催。http://omiyatoyo.com/

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