日韓が「歴史問題」でわかり合えない根本理由 議論すべきは「歴史の実証」か「歴史認識」か
これらの歴史問題が炎上する背景には何があるのか。また、アカデミズム、メディア、そして社会は、歴史問題にどう向き合えばよいのか。このたび『教養としての歴史問題』を上梓した、前川一郎、倉橋耕平、呉座勇一、辻田真佐憲の4人の気鋭の研究者による同書の座談会部分を抜粋してお届けする。
歴史修正主義が台頭した背景
前川:まず、歴史修正主義の台頭について、あらためて皆さんの認識を伺わせてください。『教養としての歴史問題』ではそれぞれ異なる角度で論じているわけですが、議論の前提には、1990年代以降に歴史修正主義が社会への影響力を強めてきたことに対する危機感がありました。
倉橋:これは歴史学だけの問題ではないと認識しています。歴史修正主義の問題は、歴史学のなかでのイデオロギーの左右対立の問題と捉えられるのが一般的ですが、そもそも左右というラベル自体がわかりづらくなっているという現状があります。
歴史修正主義には、日本人の誇りに関心があるから史実はあまり重視しないという特徴があります。それが社会に一定の影響力を持っているのは、社会に対する不安や不満を持つ人々の心情と親和性があるからだとも考えられます。
つまり、対立軸は左右のイデオロギーだけが問題なのではなく、階層対立だという可能性です。現状を認識するには、左右の対立に覆い隠されてしまっている、本当の対立軸をすくい取るといった視点が必要だと思います。
呉座:同感です。左右では分けられない問題も多いと思います。倉橋さんの論考で、右派とスピリチュアル系の親和性が指摘されていましたが、一方で左派であるエコロジー・環境問題の運動家のなかにもスピリチュアル系と結び付く人がいますよね。
辻田:右左は、ほとんど「これは右」「これは左」と分類するラベルになっていると思います。対立軸のもと整理することで、複雑な現実をすっきりと見えた気にさせてくれるわけです。
ただ、日々の生活に忙しい人々に社会の問題をわかりやすく発信することは必要ですけれども、やりすぎると互いに相手にラベルを貼り合い、敵と味方を作って終わりという不健全な振る舞いになってしまいます。ですから、社会の捉え方をバージョンアップしていくという意識をつねに持たなければいけません。そうすることで、硬直した左右の対立図式を乗り越える道も見えてくるのではないでしょうか。
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