日韓が「歴史問題」でわかり合えない根本理由 議論すべきは「歴史の実証」か「歴史認識」か

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倉橋:非常に難しい問題ですけど、もちろん、専門知は社会にとって必要不可欠だと思います。けれど、専門知に対する評価は非常に低くなり、信頼されなくなっているという現状があるのも事実です。その辺りは、トム・ニコルズというアメリカの研究者が深く分析し、一般向けの著書を出版し、専門知が軽んじられる状況を「反知性主義」という言葉で説明しています。彼の分析はかなり悲観的ですが、世界的な災害や危機が生じたとき、その状況はひっくり返る可能性があるとも指摘していました。

その邦訳(『専門知は、もういらないのか』)が日本で発売された半年後にコロナの問題が起こりました。政府が「専門家会議」を作って助言を求める姿が繰り返し報道されています。それで信頼がどの程度回復するかはわかりませんが、「専門知」が見直されるきっかけとはなったのではないでしょうか。歴史学の問題に関しては、呉座さんが「権威」という言葉を使われましたが、それに対する反発が社会には広がっていて、それが専門知を揺るがしているのではないかと考えています。

反知性主義の背景には「平等観」があるのだと思います。すなわち、専門知という権威を引き下げ、俗説を引き上げるというトレンドがあり、知は専門家だけのものではなく、もっとフラットなものなのだという感覚でしょうか。そういう感覚が社会に広がっている。とくにネットのやり取りを見ているとそんな感じがします。

現代社会の真の対立軸

辻田:現代美術家の村上隆さんが、かつて「スーパーフラット」という言葉を使いました。すべてが真っ平らだというポストモダンの価値観をよく言い表したものだと思いますが、学校だと、教える側も教えられる側もフラットで平等なのだという感覚なのでしょう。

最初に右左の対立軸の話がありましたけども、もし今、本当に対立軸があるとすれば、それは、すべてがフラットだというポストモダン的な価値観の人たちと、社会にはある種の階層や秩序があると考える(近代的な?)価値観の人たちとの間にあるような気がします。これはどちらが一概にいいとは言いにくいのですが……。

倉橋:その点については、私も同感で、危惧していると言ってもいい。実際に現実にも発せられる言語にも権力勾配や権力格差はつねに付きまとい、それがなくなったことなど歴史上一度もないのに、もはや解消したもののように扱われるという知的現象は数多く見られます。

「男性差別」「在日特権」「日本人ヘイト」といったマジョリティーこそ被害者であるといった言説は、平等あるいは立場のフラットをベースにしたところから語られる権力勾配無視の発想があると思います。歴史修正主義者がそうしたフラットな状況を作り出すために「ディベート」のような言論ゲームを持ち出したのもその延長線上にあると思います。 

(収録日:2020年5月25日、第2回につづく)

前川 一郎 立命館大学グローバル教養学部教授

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まえかわ いちろう / Ichiro Maekawa

専門はイギリス帝国史・植民地主義史。主な著書や論文に『イギリス帝国と南アフリカ――南アフリカ連邦の形成』(ミネルヴァ書房、2006年)、『「植民地責任」論――脱植民地化の比較史』(共著、青木書店、2009年)、「アフリカからの撤退――イギリス開発援助政策の顚末」『国際政治』(第173号、2013年)、”Neo-Colonialism Reconsidered: A Case Study of East Africa in the 1960s and 1970s,” The Journal of Imperial and Commonwealth History, 43 (2), 2015ほか、訳書にジェイミー・バイロンほか著『イギリスの歴史【帝国の衝撃】――イギリス中学校歴史教科書』(明石書店、2012年)などがある。

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