日韓が「歴史問題」でわかり合えない根本理由 議論すべきは「歴史の実証」か「歴史認識」か

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辻田:よく指摘されるように、ソ連が崩壊した後、右左の違いがわかりづらくなったという状況があります。日本の論壇には、右左を分かつ思想的な根拠は見いだしにくく、主張のパッケージというか、何か束のようなものがあって、それが“右”“左”と呼ばれている印象です。

例えば、原発は推進で、基本的に自民党を支持し、女性の社会進出や夫婦別姓、ジェンダー問題などには消極的でといった束が右派や保守で、その反対が左派やリベラルであるというような感じになっている。けれど、例えば、原発に関して、右派であるから賛成なのだという思想的な根拠がかならずしもあるわけではない。もっと言えば、右翼とは「反左翼」で、左翼は「反右翼」でしかなくなっているとさえ思います。

左派が権威、右が挑戦者という嘘の構図

呉座:左右の対立について、〈左派が日本の歴史認識や社会規範を支配しており、右派は庶民に寄り添ってその権威に対抗しているのだ〉という言説が、右派によってしきりに喧伝されています。つまり、左派は押しつけがましい権威主義的なインテリであって、右派は大衆を代表して左派の知的権威に挑戦しているのだ、という構図です。右派が一定の共感と支持を獲得しているのは、この戦略に拠るところが大きい。

呉座勇一(ござ ゆういち)/国際日本文化研究センター助教。専門は日本中世史。主な著書に、40万部超のベストセラーとなった『応仁の乱』(中公新書、2016年)ほか、『一揆の原理』『陰謀の日本中世史』などがある(撮影:今井康一)

けれど、左派が権威で右派が挑戦者という構図はかならずしも実態に即しておらず、レッテル貼りのようなところがあります。戦後のほとんどの時期において保守勢力が政権を担ってきましたし、現在も保守派の代表と言える人が長期にわたり首相を務めています。霞が関の官僚や一流企業の社員など社会の上層にも右寄りの考え方の人は多い。

にもかかわらず、左が体制側で右が改革者という図式は信じられてしまっています。辻田さんが指摘されている右派が提示する「物語」とも関連すると思いますが、この辺りも、右派は非常に巧妙だと思います。

辻田:いまの日本では、いかに刺激的な記号を配置して、人々の注目を集め、動員や利益につなげるかというゲームがあちこちで展開されています。歴史修正主義の運動も、そういう時代の流れのなかで捉えたほうがわかりやすいかもしれません。

前川:私も歴史修正主義の問題を右派だの左派だのといった次元で捉えることには違和感があります。歴史修正主義者はいろいろと言っていますが、その動機はさまざまであるにせよ、要するに彼らが口にするのは、戦争や植民地主義などが刻印した過去の「不正」について、「モノ言う弱者」と彼らが思い込んでいる人たちからとやかく責め立てられることへの反発やいら立ちです。「本当の対立軸」ということであれば、その1つは「過去の克服」に向き合うか否かということであって、もとより右とか左とかという話ではありません。

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