日韓が「歴史問題」でわかり合えない根本理由 議論すべきは「歴史の実証」か「歴史認識」か

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呉座:よく指摘されていることですけど、ソ連の崩壊によって、マルクス主義の権威が失墜したことで、歴史学は「世界史の基本法則」というグランドセオリーを失ってしまいました。そのため、歴史学は実証主義にアイデンティティーを求めるようになったという問題があります。

日韓歴史共同研究がかみ合わなかったことには、そうした背景があるのだと思います。韓国側に植民地主義を清算するという歴史認識問題が軸にあるのに対し、日本側にはとくに軸はないので実証的に研究するという意識が前面に出る。目的意識が違うので議論がすれ違ってしまう。

一例を挙げますと、日韓併合は韓国側から見れば一片の正当性もない侵略ですが、日本側は道義的には問題があったけれども当時の国際法では合法でした、という論理を組み立てるわけです。韓国側には詭弁に聞こえるのでしょうが、実証主義に立脚した場合は間違っているとは言えない。植民地統治にしても、日本側はイデオロギー的評価を脇に置いて実態を見ていこうというスタンスなので、収奪一色ではなく近代化が進んだ面もある、と指摘したりする。植民地支配を肯定しているわけではありませんが、韓国側にはそう映ることもある。

そういう意味で、日本の歴史学は、物語というか、歴史を概観する大きな見取り図を描けなくなって、日本の歴史はこうだったと、積極的に市民や社会に示すものがなくなってしまったために、どんどん内向きになって、実証主義の職人として学会でアピールするしかなくなっているという問題があると思います。かと言って、実証主義を軽視してしまっては、歴史修正主義と差別化できなくなるので、なかなか悩ましい。

なぜ「新しい物語」が必要なのか

前川:辻田さんは「新しい物語」が必要だと指摘されていますが、いかがですか。

辻田:市場では歴史に強い需要があって、本も売れますし、テレビ番組もよく見られます。

辻田真佐憲(つじた まさのり)/作家、近現代研究者。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論多数。著書に『文部省の研究』(文春新書)、『日本の軍歌』(幻冬舎新書)、『古関裕而の昭和史』(文春新書)などがある(撮影:今祥雄)

とはいえ、そこで求められているのはかならずしも学知そのものではないわけです。そのため、ある種の「翻訳」をしなければいけないのですが、呉座さんがおっしゃったような事情もあり、それがうまく機能していませんでした。

歴史修正主義者は、その虚をついたところもあったのではないでしょうか。学知だけではなく、それをベースにしたより「まともな」物語が必要だと述べた理由もここにあります。

前川:市場や商業主義に関しては倉橋さんが社会の問題として議論されています。

いきなり大きな質問からになりますが、結局のところ、社会は学知に何を求めているのでしょうか。つまり、社会における知とは何なのでしょうか。そもそも、社会は専門知を必要としているのでしょうか。

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