「翌日か翌々日、(焼け跡に)ランドセルや教科書を取りに行って。図書館から借りた本を返さなきゃと思っていたことや、焦げたにおいの本を拾ってきたことは覚えています。
冬休みが終わって学校に行く前、たぶん担任の先生が『大変だったね』と言って、新しい洋服をプレゼントしてくれたんですが。『哀れまれている』というのをすごく感じて、なんともいえない気持ちになってしまって。かわいい服をもらってうれしい気持ちと、『そういう目で見ないで』と思った記憶が、すごくありますね」
先生が親切で洋服をくれたことは、もちろんよくわかっていました。それでも、他人から「哀れみ」の目を向けられることのつらさや違和感は拭えなかったのでしょう。火事のあと、いろんな人から「かわいそう」「大変だったね」と言われ続けていたこともあり、ある種、飽和状態になっていたのかもしれません。
しかし、その鬱屈した気持ちを、彼女が表に出すことはありませんでした。
「自分たちがおりこうにしていないと、火事を起こして責められている父と母がもっと責められる。だから、ずっと『いい子にしていなきゃ』と思っていました」
親を悪く言われたくない気持ちがあるから、我慢する
両親は、やはりと言うべきか、非常に厳しい立場に置かれていました。祖父が始めた大切な店を全焼させてしまい、かつ3人の幼い孫の世話も祖母に頼まざるをえない状況です。ただでさえ仲がよくなかった祖父母と両親は、ますます関係が悪化していました。
しかも運の悪いことに、保険業者の不手際で、火事が起きたのはちょうど火災保険が切れた翌日でした。そのため、消防の水をかぶって休業を余儀なくされた近隣の店への補償をめぐる問題も発生していたのです。
「寝ていても大人の話し声が聞こえてくるときがあって、子どもながらに『迷惑がられているんだ』ということはわかっていました。やっぱり親を悪く言われたくない気持ちがあるから、その頃はいっぱい我慢していたんだと思います。本当は『甘えたい』とか『弟の面倒を見たくない』と思っても、弟が泣いて騒いだら『お父さんとお母さんのしつけがなってない』って責められる。だから全部我慢する。
いまでも人の顔色をうかがう癖や、つらいことをつらいと表現できずに、人に甘えきれないところがあるんですけれど、あの頃のことが影響しているんだな、ということが最近わかってきました。『いい子でいない私、役に立たない私は、いらない私』、みたいな感覚が、ずっとありましたね」
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