甲骨文字は3300年ほど前に、中国最古の王朝・殷の時代に生まれたとされている。牛の肩甲骨や亀の甲羅に刻んであることから甲骨文字と呼ばれる。殷の王は神の意志を問うことによって政治を行った。ここでも神にアクセスできるのは王ただ一人である。
王は「貞人」と呼ばれる占い師の集団を率いて神の意志を質した。その前に盛大な祭事が催された。祭事には犠牲が捧げられる。犠牲は牛がいいか、羊がいいか、何匹がいいか。この占いの結果を記録したものが甲骨文である。
遺された甲骨文を見ると、ときには百人の異族の首が犠牲として捧げられることもあったようだ。何百人もの人間を犠牲として捧げなければ、神へのアクセスはかなわなかったということだろう。この神と人間の隔たり方は尋常ではない。王の絶対的な権力は、神との途方もない隔絶によって保証されていたとも言える。なにしろその声を聞くために百人の首を刎ねねばならないほど、神は遠い存在だったのである。
神に近づけるのは、牛でも羊でも人でも、神の要求に応じで犠牲を取り揃えることのできる王だけだった。甲骨文に刻まれた神も「出エジプト記」や「ヨブ記」に描かれた神も、まったく同質だ。それは人々の手に負えず、ただ畏怖するしかない存在である。
イエスは自らの人格に神を縮約した
イエスは自らの人格に神を縮約したと言える。もちろん本人が望んだわけではない。イエスが実在したかどうかも二義的なことだ。人々が「神の子・イエス」という観念を強く求めたことが重要なのだ。そこで何が起こったのか? イエスの死後、彼を愛し信仰することが神への回廊となった。
パウロをはじめとする原始キリスト教の人たちは、イエスを「神の子」とする教団をつくり、神の国へ呼び入れられるための手引きとして、新約聖書に収められることになる受難の物語を著した。そこに描かれたイエスには、もはやモーセやヨブが遭遇した神のような横暴さや理不尽さはない。人類の罪を背負って十字架刑に処せられたいたわしい御方であり、そのキャラクターは物静かで慈愛に満ちている。あたかもダ・ヴィンチの『最後の晩餐』に描かれたような、やせ形の憂いを帯びた宗教的指導者である。