ジョブズ、「神」をポケットに届けた男の偉業 振り返れば人間の歴史を覆すほど衝撃的だった

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『人生とは信頼という深い基礎で構築された、素晴らしいネットワークである』ジョン・スカイリー。彼をアップルCEOにジョブスがヘットハンティングした言葉は「このまま一生、砂糖水(ペプシコ)を売り続けたいか、それとも世界を変えるチャンスをつかみたいか」だった(撮影:小平 尚典)

いまやほとんどの人は、自分の上着やズボンのポケットに入っているスマホをスーパー・コンピューターとは思っていないだろう。ではなんと思っているのか? なんとも思っていない。「何」と意識することさえないところまで、スマホからはテクノロジーの匂いが消えている。

半導体の集積率が18カ月ごとに2倍になるというムーアの法則は、それ自体は量的な変化に過ぎない。この指数関数的な進歩は、だがどこかで質的な変化に転位した。それはコンピューターがテクノロジーから解放されたということであり、テクノロジーがテクノロジーを超越したということだ。

考えてみよう。1台のiPhoneを持っているということは、大英博物館やルーブル美術館をポケットに入れて持ち歩いていることに等しい。人類の叡智が、人類史そのものがポケットに入っている。神をポケットサイズにしてしまったと言ってもいいだろう。いまでは誰もが神をポケットに入れて持ち歩いている。これがジョブズの成し遂げたもっとも革新的なことだ。

新約聖書という書物を媒体としてイエスが行ったことは、神と人間のあいだを取り持ち、両者の関係を親密にしたということである。つまり神と人間のあいだの「革命的なインターフェイス」を実現した。イエスをとおして人々は気軽に、カジュアルに神にアクセスすることができるようになった。1人ひとりの人間が個人として「パーソナル」に神と対峙できるようになった。

ジョブズは神を手のひらサイズにしてポケット化した

イエスは神を内面化したと言ってもいい。これは人間の歴史を覆すくらいショッキングなことだった。イエスの2000年後に現れたジョブズは、神を手のひらサイズにしてポケット化してしまった。これもまたイエスに勝るとも劣らず衝撃的なことだと言える。

イエスが生きた時代、神にアクセスできるのは神殿の祭司たちだけだった。彼らは研鑽を積んだ学者や祭司貴族だった。神は人々のものではなかった。旧約聖書に見られるように、それは超越的で絶対的なものだった。シナイ山でモーセがヤハウェから授かる十戒のはじめには、「おまえにはわたし以外に他の神々があってはならぬ」と記されている。以下、禁止と責務の記述が連なる。

旧約聖書の神は何よりも厳しい戒律をもたらすものだ。ヨブが身をもって体験したように、神とは無慈悲な存在であり、その暴虐はときに不条理を極めた。だから王のような権力者を必要としたのだろう。絶対的な権力をもった王だけが神の暴虐を鎮めることができた。逆に言えば、神と交信することのできる王のみが、神との秘密の約束をとおして民を平定することができた。

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