ジョブズのプレゼンに戻ろう。彼がマッケンナから学んだことの1つは、新しい技術を魅力的なストーリーで語るということだ。そして当時のシリコン・バレーのみならず世界中を見渡しても、ジョブズほど見事にそれを見事にやってのける者はいなかっただろう。
スマートで視覚的な演出。自信に溢れた語り口。声には力がある。ユーモアを交えながら、カジュアルな服装で友だちみたいに振る舞う。いつもユーザーの立場に立って語りかけている。彼の好きな「革命的なユーザー・インターフェイス」だ。
常に率直な物言いをする。ときに他社の製品について具体的に名前を挙げて攻撃する。彼には攻撃する理由があった。醜いからだ。ジョブズが「ugly」と言うとき、本当に醜い感じが伝わってくる。彼は醜いものを憎む。それは異教徒であり敵なのだ。アップルが送り出す製品は常に「cool」でなければならない。そこで自社製品を差別化する。自分たちが作ったものがいかにクールであるか、説得力のあるパフォーマンスで伝える。
「携帯からボタンを取ってしまって巨大な画面にするんだよ。じゃあ、どうやって操作するんだ? マウスは無理だよ。スタイラスなのかい? ダメだ。誰がスタイラスを欲しがる? すぐなくしてしまうよ。誰もが生まれたときから持っている世界最高のデバイス、そう指を使うんだ。新しい技術を開発した。名前はマルチ・タッチ」
まるで奇蹟を行うイエスのように
ジョブズの一挙手一投足に聴衆は熱狂し、拍手と歓声が上がる。ステージの上でiPhoneを操作して見せるジョブズは、まるで奇蹟を行うイエスのようだ。彼はいま福音を届けにきたのだ。iPhoneという物質的なかたちあるものとして。アップル・ストアは教会か伝道所のようだ。熱狂する聴衆は顧客やユーザーというよりも信者のように見える。
ジョブズのプレゼンには伝道や布教のイメージがある。とくにがんを患ってからの彼には、ぼくたちのよく知っているイエスのイメージが重なる。イエスが神と人間のあいだを取り持ったように、ジョブズはテクノロジーと人間のあいだを取り持った。どうやって? テクノロジーをパーソナルなものにすることによって。そんなことはかつて誰も考えなかった。IBMに象徴されるテクノロジーは政府や企業のもので、パーソナルとは対極的なものだった。それは巨大で「醜い」ものだった。
このビッグ・ブラザーに齧りかけのリンゴが戦いを挑む。ジョブズにとって「パーソナル」とは何よりも小型化を意味した。コンピューターを持ち運びできるものにする。アップルを立ち上げたときから、彼がそこまで考えていたかどうかはわからない。だが現に彼は持ち運びできるコンピューターを作ってしまった。それはコンピューターからテクノロジーの匂いを消すということだ。