ジョブズの生涯に起こったことも、イエスの伝承をめぐって起こったことに似ている。彼とアップルという会社の航跡は、イエスの物語を福音として告げ知らせようとしたパウロたちの足跡と重なる。
新約聖書の物語をとおして、旧約の横暴で理不尽な神が、穏やかな羊飼いを想わせるイエスという人格に縮約されたように、ジョブズたちは「誰もが生まれときから持っている世界最高のデバイス、指を使って操作する」ことのできるポケットサイズのタブレットにまで、神を縮約してしまった。神はiPhoneと呼ばれるスマートなガジェットに姿を変え、いまや世界中に多くの信者を生み出している。
人種も国籍も異にする何十億もの人々が、ジョブズたちのもたらしたものに帰依している。キリスト教徒もイスラム教徒も仏教徒も使っている。ISやヒズボラの人たちも使っている。三大宗教を超えた、まさに正真正銘の世界宗教と言える。この新しい世界宗教の中核をなしているのがテクノロジーであることは間違いない。そしてテクノロジーは膨大なデータと結びついている。さらにテクノロジーもデータも、貨幣とのあいだに互換性がある。
現代の神
これらが現代の神なのだ。テクノロジーとデータと貨幣を三位一体とする神。全人類を統括し、平定する絶対的な神。モーセが遭遇した神は、なおウランの原石みたいなものだった。誰かが解放してしまったのだ。本当は「神」の封印を解いてはならなかったのかもしれない。核と同じようにエネルギーを解放してはならなかった。そこには私性と欲望が封じ込められているからだ。
いまや神はテクノロジーとデータと貨幣として解放された。この神は1%と99%を望んでおられる。望んでいないまでも、選ばれた一握りの人たちが地上の富を独占することを是認している。その結果、マタイ伝にあるように、世界には平和のかわりに剣がもたらされた。
ジョブズ1人の責任ではないだろう。誰の責任というよりは、人間はもともとそうだったと言うべきかもしれない。少なくとも殷王が100人の首を刎ねて神に捧げていた時代には、すでに人間は現在のような仕様になっていた。そう考えると、甲骨文字が発明された時代から現在まで一瞬だったとも言える。
モーセが神から授かった石板には、人として順守すべき戒めが書かれていた。強力な魔術を秘めているポケットサイズのタブレットに何が書かれているのか、まだ正確に読み解いた者はいない。
(第4回に続く)
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