渋沢栄一が「論語と算盤」の両立を力説した意味 「論語か算盤」の選別ではなく創造に結びつく
だが、そうは言っても「かの力」だけでは、無から有を生み出すことはできない。「か」は2つの有を比較して選別するだけにすぎないため、新しいクリエーション、創造に結びつかないのである。
その典型的な例が「論語と算盤」だ。
算盤をしっかり勉強し、ある程度理解が進んでから論語の勉強をするとか、あるいは損得感情は後回しにして、まずは道徳を重視して仕事を進めるという人は多いことだろう。しかし栄一は、論語と算盤に優劣をつけることなく、一緒に進めていこうと主張しているのだ。
たしかにビジネスを効率よく回していくためには、「かの力」で選別することのほうが適しているだろうし、少なくとも目先の効率は上がるかもしれない。ただ、あくまでそれは「いま、ここにあるもの同志の選別」にすぎない。したがって、それを繰り返していると、いつかは尻すぼみになってしまう。
一方「との力」は、先に触れたように一見すれば矛盾しているし、なかなか答えが出るものでもない。
論語と算盤を組み合わせて何が生まれるのかは、いまとなれば、ある程度の答えが見えているものではある。だがそれは『論語と算盤』が世に出て100年近い年月が経過し、さまざまな事例が積み上げられてきたからだ。
はっきりするまでは相応の時間がかかる
「との力」を用いることで何が生まれるのかがはっきりするまでには、相応の時間がかかるのである。見えてくるまでじっと耐える忍耐力も求められるだろう。そのため、なんの成果も出てこない段階では、無駄に思えるかもしれない。
これからの時代はAI(人工知能)社会だと言われており、AIが人間の仕事を奪うことになるという話もよく聞く。
つねにビッグデータからデジタルの0.1という「かの力」によって、過去のパターンを読み込み、情報を処理して判断していくのがAIだ。AIは絶対に物忘れをしないし、物事を選別するスピードも人間の能力をはるかに超えている。しかも人間は相当量の作業をこなすと疲弊し、休息が必要になるが、コンピュータであるAIが疲れることはない。
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