イエスは2000年を経てなお生身の人間性を感じさせる。ジョブズにも同じことが言える。ぼくにとって海の向こうのジョブズは、10年という永遠にも等しい時間を隔てて、いまなお生々しいのだ。
若いころのジョブズについて伝記的な事実から興味深い点を拾ってみよう。
1972年、オレゴン州ポートランドにあるリード大学に入学する。リベラル・アーツの私立大学で学費が高いことで有名なところだったらしい。バークレーやスタンフォードといった総合大学ではなくリベラル・アーツ・カレッジを選んだということは、この段階では何をやりたいか明確にきまっていなかったということかもしれない。
この大学はジョブズが入学する5年ほど前に、サイケデリックの導師であるティモシー・リアリーが学食にあぐらをかき、「ターン・オン(ドラッグで)、チューン・イン(意識を開放し)、ドロップ・アウト(社会に背を向けよ)」と、山上の説教よろしく垂訓したところである。そういう気風の大学だったのだろう。1970年代には中退率が3分の1を超えていたというから、ほとんどアウトサイダーを輩出することに情熱を傾けていたようなところだ。
18カ月で大学をドロップ・アウト
1960年代に青春期を送ったジョブズは、もろにカウンター・カルチャーの洗礼を受けて育った。マリファナやLSDなどのドラッグ・カルチャー、ベイエリアのビート・ジェネレーションから生まれたヒッピー・ムーブメント。ティモシーの教えを真に受けたわけではないだろうが、実際にジョブズは18カ月で大学をドロップ・アウトしてしまう。
学生だった1年半のあいだに、彼はあらゆるサブカルチャーに身を浸す。禅、瞑想、ディランやグレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレインなどのロック・ミュージック、サイケデリック・ドラッグ……ほとんど見境なしという感じである。とりわけババ・ラム・ダスの『ビー・ヒア・ナウ』という本に強い影響を受けた。サイケデリック・ドラッグ(幻覚剤)や瞑想についての一種のガイドブックで、当時の多くの若者に感化を与えたものらしい。
精神世界と悟りへの強い興味。そして興味を抱いたものにたいしては激しく、徹底的にのめり込む。1973年にはラム・ダスの師、ニーム・カロリ・ババ(マハラジ・ジ)に会うためにインドまで行っている。僧侶のようなものになろうと、半ば本気で考えていたらしい。インドから戻ったあとはスピリチュアル・ネームを名乗り、インド風のローブにサンダル履きで歩くようになる。