ジョブズ、君はどうして夢を形にできたのか 「あの日のジョブズは」自分を持て余し続けた彼

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「少し待ってくれ、すぐ終わらせるから」とゲーム画面に熱中する、スティーブ・ウォズニアック、オフィスにて(撮影:小平 尚典)

もう一つ目を引くのは、菜食主義をはじめとする極端な食事である。米、パン、穀類、牛乳などを絶ち、ニンジンやリンゴなど1~2種類の食べ物のみで何週間も過ごしたり、身体を浄化するために断食を繰り返したりしていたという。健康法の対極にある不健康なまでの純粋主義。スピリチュアルなものへの強い親和性。若者特有の過剰さに加え、時代の雰囲気もあったのだろうか。

ジョブズをはじめとして、この時期のパーソナル・コンピューターの開発者たちのほとんどが、ドラッグ・カルチャーやカウンター・カルチャーといった反体制的な空気を吸って大人になっている。とりわけ1960年代のドラッグ・カルチャーは多分に現実逃避的な面をもっていた。ベトナム戦争にたいする反戦運動が盛り上がっていた時期である。目の前には徴兵制という現実が立ちはだかっている。逃れようのない現実から目を逸らすために、アルコールやドラッグにのめり込む傾向は強かっただろう。

アメリカの西海岸で生まれたパーソナル・コンピューターが、現実世界への強い拒否感や嫌悪感をバックボーンにしていたことは多くの人が指摘している。徴兵制が廃止されるのは1973年1月、ティーンエイジャーだったジョブズたちの世代にとっては、なお現実的な問題だった。泥沼化するベトナム戦争、常習化する暗殺、ケネディ兄弟、キング牧師、マルコムX……時代は絶望に塗りつぶされていた。それがパーソナル・コンピューターを現実逃避型のガジェットにしていく1つの要因だったのかもしれない。

徹頭徹尾、「自分」が問題だった

同時にカウンター・カルチャー的な文脈で言えば、パーソナルであることには、IBMなどが作っている権威の象徴ともいうべき大型コンピューターへの対抗意識も込められていたはずだ。ただ、彼らはそれを政治的なやり方にもっていかなかった。パーソナル・コンピューターの開発にかかわった若者たちは共通してノンポリティカルである。ジョブズとともにアップルを創業したスティーブ・ウォズニアックなどは典型的な電子機器マニアであり、元祖ハッカーという感じだ。デモに参加してポリスに石を投げるというタイプとはほど遠い。

ジョブズの場合も、政治への興味関心はほとんど見られない。彼が大学に入学した1972年の後半には、徴兵制の削減・廃止は既定の政策になろうとしていた。学生たちの反戦運動や政治活動も下火になり、大学の雰囲気も変わりつつあったのかもしれない。そうした社会や時代の変化以上に、ジョブズにとっては徹頭徹尾、「自分」が問題だったように思える。外側の現実へ向かうよりは、内側の自己へ向かう傾向がはるかに強かった。サイケデリック・ドラッグも瞑想も信仰も極端な食事も、ジョブズがのめり込んだものはどれも内側を指向するものばかりだ。

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