渋沢栄一の慧眼!「弱者を包摂した社会」の強さ コロナ禍こそ求められる「有機体論」の思想

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渋沢栄一の「有機体論」的な社会観とはどのようなものだったのでしょうか(写真:アフロ) 
内外で議論の最先端となっている文献を基点として、これから世界で起きること、すでに起こっているにもかかわらず日本ではまだ認識が薄いテーマを、気鋭の論客が読み解き、議論する「令和の新教養」シリーズ。
今回は、『日本経済学新論 渋沢栄一から下村治まで』を上梓した中野剛志氏が、コロナ以後の国家と社会の形を「機械論」と「有機体論」の2つの視点から捉え直す。

「機械論」と「有機体論」の2つの系譜

評論家の佐藤健志氏が、国家は、「政治的身体」として観念されるとしたうえで、新型コロナウイルス感染症に対して「自然的身体」はもちろん、文字どおり「政治的身体」をも守らなければならないという興味深い論考を展開している(参考記事:「疫病と自粛疲れから『国民の2つの身体』を守れ」「コロナ対策は『予防徹底は不可能』が前提だ」「『自国優先』にもグローバリズムが必要な逆説」)。

これから世界で起きること、すでに起こっているにもかかわらず日本ではまだ認識が薄いテーマを、気鋭の論客が読み解き、議論します。この連載の記事一覧はこちら

この「政治的身体」観は、社会を1つの有機体にたとえる「有機体論」としても知られている。

実は、社会科学の系譜には「有機体論」以外にも、社会を有機体ではなく「機械」のようにみなす「機械論」というものがあった。

「機械論」は、人間を物理現象における「原子」のように、あるいは機械における「部品」のように、独立した「個」として捉える。そして、そのような部品としての個人が集合し、一定の規律に従って行動すると、社会は1つの「時計」のように、各部品を自動的に調整して規則正しく動く。

社会をこのようにイメージするのが「機械論」である。「機械論」では、社会が、一定の原理に従って精密かつ自動的に動くものと想定しており、そこに予測不能で不規則な変動、進化あるいは成長といった概念が入る余地はない。「機械論」的な社会観は、極めて硬直的で静態的である。

そして、社会科学者の役割は、社会が内蔵する機械的な原理を見つけ出し、その原理が円滑に作動するように設計することである。それができれば、社会は原理に従って自動的に調整されるので、政府が介入する必要はない。

これに対して、「有機体論」における人間は、社会におけるほかの人間と関係を結び、相互に交流し、社会の中でしか生きられない存在とみなされている。個人は機械の中の部品ではなく、有機体の中の細胞のイメージなのである。そして社会は、生物のようにつねに動き、進化し、成長する。「有機体論」的な社会観は、柔軟で動態的なのである。

次ページ経済学で主流を占めてきたのは「機械論」だった
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