渋沢栄一の慧眼!「弱者を包摂した社会」の強さ コロナ禍こそ求められる「有機体論」の思想

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この「機械論」と「有機体論」の2つの系譜のうち、経済学において主流を占めてきたのは、実は「機械論」のほうであった(逆に「有機体論」が優位だったのは社会学である)。

今日でも、主流派(新古典派)の経済学は、「機械論」的な論理で構成されている。

主流派経済学の理論では、人間は独立した「個」として機械部品のように扱われている。そして、市場は自動的に「均衡(equilibrium)」するとされるが、この「均衡」というのは機械力学の用語である。

しかも、この均衡を実現する原理は、文字どおり「価格メカニズム」と呼ばれているのだ。そして、この「価格メカニズム」があれば、政府は市場に介入する必要はない。主流派経済学者は、市場経済を自動機械のようにみなしているのである。 

これに対し、主流派の「機械論」を拒否し、「有機体論」的に経済を捉えようとする異端の経済学の系譜もあった。例えば、ドイツ歴史学派や制度経済学などがそれに該当する。ほかにも、アルフレッド・マーシャルは、新古典派経済学の創設者の1人とされながらも、経済学を生物学的なアナロジーで考えようとしていた。

個人が1つのまとまりのある経済に属し、その経済の構成員と不断に交流する中で、経済はつねに変化し続け、成長し、あるいは衰退する。しかし、均衡して止まるようなことは決してない。

もし動きを止めれば、経済は死滅する。このように考える「有機体論」的経済学は「組織(organisation)」を分析対象として重視するが、「組織」という概念は生物学にもあるだろう。

この「有機体論」的経済学は、格差の拡大、労働者の疎外、あるいは貧困といった社会問題に対しても強い関心を示してきた。というのも、社会問題は、国民経済という「身体」の不調、要するに病気とみなされるからである。

こうしたことから、例えば、ドイツ歴史学派の経済学者たちは、社会問題の研究と解決を目指して、1872年に「社会政策学会」を設立した。

渋沢栄一の社会観

日本でも、1896年、ドイツ歴史学派を学んだ東京帝国大学教授の金井延が中心となって「社会政策学会」が設立された。

明治日本の近代資本主義化に伴って生じた社会問題に対処するためである。その金井は、社会問題を病にたとえて、「有機体たる社会の一部に生ずる病は局部的の病でなくして結局全部の病である」とし、「社会全体の上に病的影響を及ぼし全社会の安寧秩序を危うくする」と述べている。

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