この社会政策学会の第1回大会が1907年に開催された際、来賓として招かれた渋沢栄一は、社会政策学会の趣旨に賛同する旨を表明した。
渋沢は、明治日本を代表する資本家であったが、社会問題にも重大な関心を示し、その解決に向けて奔走した人物でもあったのである。
渋沢は、「論語と算盤」あるいは「義利合一」の理念の下、実業家に対し、「国家的観念」を念頭に置き、社会や国全体の利益のために行動することを求めた(「『論語と算盤』は『ナショナリズムと経済』だった」)。
有機体である国家の衰弱を招く前に
実業家が自己利益の追求に走り、大きな貧富の格差が放置されると、労働者や社会的弱者が疎外される。その疎外による不満や社会不信は、思想の過激化を招く。したがって、過激思想の蔓延を防ぐためには、格差が小さく、国民各人が互いを思いやり、助け合うような健全な社会を構築しなければならない。
このように考えた渋沢は、「出来るだけ身体諸機関を強壮ならしめて、仮令病毒の浸染に遭ふとも、立ち所に殺菌し得るだけの素質を養成して置くこと」 [青淵百話]が肝要であると説いた。
要するに、弱者を包摂した健全な社会(強壮な身体)であれば、過激思想(病毒)の蔓延を未然に防ぐことができるであろうというのだ。このように、渋沢の社会観もまた「有機体論」的であった。
現在、新型コロナウイルスの感染拡大は、経済に深刻な打撃を与え、倒産、失業、貧困を急増させており、政治に対する国民の不満・不信は、日に日に高まっている。このような状態が放置されたままだと、いずれ国民の不満・不信は、過激思想の感染爆発を引き起こし、「政治的身体」たる国家を衰弱させるだろう(「戦前昭和の軍部台頭を招いた『健全財政』の呪縛」)。
このコロナ禍の今ほど、「有機体論」の思想が求められるときもあるまい。
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