何やら抽象的・観念的なように思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
日本国憲法の第一条には、こう記されています。
天皇の身体は、日本という国のみならず、日本国民の統合までを象徴的に表している。
ボディ・ポリティックの発想が盛り込まれているのは明らかでしょう。
1651年に刊行されたトマス・ホッブスの著書『リヴァイアサン』の表紙には、剣と笏(しゃく)を持った巨大な君主が、国土を睥睨(へいげい:辺りをにらみつけて勢いを示すこと)するさまが描かれていますが、君主の身体は、よく見ると無数の人々によって成り立っています。
現在の天皇に政治的権力はありませんが、天皇が国民の統合を象徴するという憲法の規定は、『リヴァイアサン』に描かれた君主の姿から、そうかけ離れたものではありません。
つまりわれわれも、自分自身の自然的身体を持つと同時に、「日本(国民)」という政治的身体の一部をなしている。
国民であるかぎり、誰の身体にも二重性が備わっているのです。
2つの身体を病から守れ
国家や社会について論じるとき、人はしばしば、そうと自覚することなく、ボディ・ポリティックの概念に基づいた言葉遣いをしています。
「日本の病い」や「社会を蝕(むしば)む問題」といった表現は、国や社会が「身体」だという前提なしには成り立ちません。
そもそも「国体」という言葉が存在するではありませんか。
国の指導者は「元首」であり、元首同士の話し合いは「首脳会談」と呼ばれます。
そして感染症の流行においては、ボディ・ポリティックは比喩にあらず、文字どおりのものとなる。
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