野球は人生そのものだ 長嶋茂雄著 ~心から納得する背番号3の波乱だらけの野球人生
長嶋ファンにはたまらない本であろう。一気に読めるが、読み終わるのが惜しい気がする。
1936年、日本にプロ野球がスタートした年に生まれたチビの少年が、どうやって「長嶋茂雄」になっていったかが、つぶさに語られる。そのほとんどはファンならよく知っていることだが、読み進んでいくと新しい味わいがあり充足感がある。
野球を覚えたのは小学4年。ビー玉を芯に真綿で包み、帯締めの細い紐を巻く母親手作りのボール、竹のバット、三角ベース……。今では考えられない素朴な野球体験。赤バットの川上、青バットの大下の時代である。
中学で野球部に入り、2年ではショートで3番。この頃から急速に背が伸び始めアッという間に170センチメートル近くになる。3年の時、腰高でよくエラーをして試合中にサードにまわされる。「サード長嶋」の誕生である。立教大学に進み砂押邦信監督のスパルタ教育を受け、6大学新記録の8本塁打を放つ。
卒業後巨人に入り、背番号3が誕生する。国鉄の金田正一投手に4打席4三振という派手なデビューを飾るが、8月には打撃の神様川上哲治に代わって4番を打ち、ホームランと打点の2冠で新人王となった。それから17年間、数々の名シーンを演じて38歳で引退し、監督となる。だがわれわれには、監督ではなく、背番号3の選手長嶋こそが「長嶋茂雄」であった。
監督として、第1期の6年間はそのイメージから遠ざかる。だが12年間の浪人を経て、第2期の監督時代に新しい伝説を生み出した。2004年、アテネ五輪直前に脳梗塞で倒れ、壮絶なリハビリの姿は新しい「長嶋茂雄」を加速させている。
長嶋は、最後にこう言う。「波乱だらけの野球人生だった」と。その言葉に、ファンとしては心から納得するのである。
ながしま・しげお
読売巨人軍終身名誉監督。1936年千葉県生まれ。佐倉高、立教大を経て58年巨人入団。74年現役引退。75~80年、93~2001年巨人監督。現役時代の通算成績は2471安打・444本塁打・1522打点・通算打率0.305。新人王、MVP5回、首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回、ベストナイン17回、ゴールデングラブ賞2回。
日本経済新聞出版社 1680円 326ページ
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