これに対しては、根拠がない不安であるから、理屈で対策を取っても意味がない。それにもかかわらず、コロナ前には、世の中でもっとも合理的だと思われていたエコノミストたち(合理的過ぎて現実の人々の気持ちがわかっていないと非難されていた)が、得体の知れない不安を真正面から受け止めようとして、「日本自爆政策」とも呼べるような提案をしている。
彼らは、コロナ前には「財政緊縮論者」として批判を浴びていたはずだ。だが、人々の不安を払拭するために、全国民あるいはそれに近い大量のPCR検査を繰り返し行い、人々を安心させて、経済活動に復帰させようと提案している。アメリカのハーバード大学などがそのようなことを提言したから、この受け売りというだけなのかもしれないが、彼らは真剣だ。毎年数兆円の支出と、実施に際して非常な困難を伴ってでもやるべきだ、と主張している。
私は「コロナでおかしくなってしまったのか」と言いたい。PCR検査の結果が今日陰性でも、明日に陽性になるかもしれないのだ。だから、闇雲な検査はまさに百害あって一利なしに等しいのである。「では抗体検査を」、というが、これも賛否両論で、今回のコロナは抗体があっても大丈夫とは言い切れない。大量の国民全員の検査を行って、得られるものは、誤った安心である。目先の不安は解消されるかもしれない。ただ、それだけのために、毎年数兆円支出するという提案をするのである。
真の感染症危機が到来し、日本が財政破綻する懸念
この提案の最大の欠点は何か。検査をするのは、陰性なら安心ということで、不安を解消することのはずだ。だが、陰性で安心して活動していたら、発症して陽性になった、という例が出ている。「それは確率論だから、それが出てもかまわない。出たら隔離すればよい」、と全数検査提案側は言う。だが、国民の側はそうではない。陰性なら安心ということに金と時間と手間を払っているのに、これで発症して、他人にも感染したらまさにそれこそパニックである。かえってパニックは大きくなる。これこそが、原発事故でも日本を襲った、ゼロリスク神話、ゼロリスク追求癖の罠である。
したがって、日本には間違いなく今後、再び、いや真の感染症危機がやってくる(それが吉崎氏のいう「第2波」であろうが、別の新型ウイルスであろうが)。そのとき日本がパニックになり、感染症危機がどこまで深まるかは、そのときの対応、あるいは準備次第である。だが、少なくとも財政は確実に破綻するのである。
よって、吉崎氏に言わせれば、「なんだ、論理は違うが、結論はほぼ一緒だね」、と言うことになるのかもしれない(本編はここで終了です。次ページからは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承下さい)。
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