「人権のイデオロギー化」が招く地政学的危機 正義よりも共感による対話の制度的枠組みを
少なくとも、歴史認識問題において、日本は、共感を伴う対話の姿勢を維持すべきである。それは、自国批判もいとわず、そして欺瞞の悔悟による思考停止を乗り越える自由な歴史研究の継続である。
例えば、日韓関係であれば、日本の朝鮮統治について、断罪的でも自虐的でもなく理解を広げることでもある。さらに、多国間での対話によって自由な言論空間を広げることも重要である。
「新しい地政学」の時代における日本の役割
日本外交は、人権のイデオロギー化に対して、共感を伴う対話の姿勢を保っている。
実際、日本は、韓国や中国とのユネスコ「世界の記憶」登録をめぐる対立では、事実認識に疑義のある文書の申請問題を話し合うべく、対話の環境を整えることを目指した。
日本政府は、ユネスコへの拠出金拒否やユネスコ脱退に訴えずに、ユネスコの国際諮問委員会の審査の透明性と各国の代表を確保すべく、多国間協議を通じたルール変更を求めた。
また、約70万人のロヒンギャ難民を生み出したロヒンギャ武装勢力とミャンマー軍の2016年の衝突について、日本政府は、国際社会の糾弾的姿勢とは違い、ミャンマーの現実を考慮した現実的な姿勢をとる。
国連諸機関のミャンマー軍糾弾決議に、日本は棄権する一方で、ロヒンギャ難民の保護と帰還や、ミャンマーの社会経済開発を支援している。同時にミャンマー政府が、基本的人権を尊重し、民主化を進めることを要求している。
過度なミャンマー政府追及は、ミャンマー政府、軍との対話を閉ざし、ミャンマーの民主化後退、対中傾斜をも招きかねない。
今回の衝突は、ロヒンギャ側の攻撃で始まっている。また、イギリス植民地政策の遺産でもあるロヒンギャ問題は、ミャンマー社会では非常にセンシティブな問題である。日本政府は、ミャンマー政府の意向を尊重して、「ロヒンギャ」を「ラカイン州のイスラム教徒」と表現している。
最も早く近代化したアジアの国として、欧米とアジア、途上国と先進国の懸け橋でもある日本は、さまざまな立場を理解する「共感」力を備えている。自由民主主義国としての開放性と透明性で、対話をつねに維持できる。今後、権威主義国が、民族主義に訴え、シャープパワーを駆使する形で表れるであろう人権のイデオロギー化にも、日本は対応する必要が出てくるであろう。
新しい地政学の時代において、日本が共感を伴った対話の姿勢により、人権のイデオロギー化から普遍的価値である人権を守る重要性は高まっている。
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