「人権のイデオロギー化」が招く地政学的危機 正義よりも共感による対話の制度的枠組みを

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人権のイデオロギー化は、主に2つの意味を持つ。

第一に、強い被害者意識や正義感から生まれる人権救済主張が、法の支配を軽視した突出した要求、もしくは応報的正義に偏重した要求となることがある。

そして、第二に、被害者意識が権力的意思を帯び、または、被害者の代弁者が、被害者意識を人権の名の下に政治的に利用する状態がある。政治的目的を帯びてのイデオロギー化した人権はときに過激化し、人権政策の実現性、社会的影響についての判断力や責任を伴わない。

まず、強い被害者意識は、時に被害の規模や質を競い、主張に反する事実を顧みず、主張に沿う事実のみを強調する傾向をもたらし、他者の人権を侵害することもある。

例えば、ルワンダでの1994年のジェノサイドは、80万人のツチ族の犠牲者と同時に、2500人から4500人のフツ族の犠牲者も生んだが、フツ族の犠牲について語る者は「ジェノサイド否定論者」と烙印を押され、政党登録も拒否され、メディアや警察からも嫌がらせを受けたという。

日韓慰安婦問題では、被害者の支援団体側が、慰安婦被害をホロコーストと同一視し、被害者の数を学術的研究に基づいたものよりはるかに多く推計し、1965年の日韓協定が存在しても、強制連行の証拠が不在でも、「慰安婦狩り」証言が虚偽認定されても、日本政府の法的責任を追及した。

さらに、「暴力的に連行された無垢な少女」という単純化された慰安婦像とは異なる解釈は、韓国社会では元慰安婦への名誉棄損とされた。歴史の解釈は、裁判の対審的な尋問に移され、研究の自由は制限された。

また、人権のイデオロギー化は、刑事司法による正義の偏重的追求となっても表れる。

しかし、和平プロセスにある社会での刑事司法による正義の追及は、旧ユーゴ国際戦犯法廷のように大国の支持がない限り、人権救済とは必ずしもならない。国際刑事裁判所によるアフリカの人権侵害状況、戦争犯罪の予備調査や捜査、アフリカの指導者層の逮捕状発付、訴追などの積極的な姿勢は、アフリカ連合の反発を招き、重大な国際犯罪を十分に処罰できずにいる。

被害者意識の政治権力化

強い被害者意識は人権規範を盾に、時に暴力的な報復をも正当化する。

共に強烈な被害者意識を持つパレスチナとイスラエルの対立において、土地を追われて抑圧されたパレスチナ人は、ユダヤ人への暴力を、民族自決、果ては「人類のため」のテロと正当化する。

一方ユダヤ人は、ホロコーストや反ユダヤ主義からくる被害者意識を、「二度とあってはならない」という強い決意に昇華した。

また、イスラエルは、パレスチナ側からの散発的暴力を確かに受けているが、その隣国地域(エジプト、パレスチナ、ヨルダン、レバノン、シリア)よりもはるかに高い軍事力や経済力を持ちながらも、安全保障上つねに深い脅威感をぬぐえずにいる。

そして、自己防衛の名の下で、分離壁を建設し、入植地を譲らない。双方の「暴力」は、事態を悪化させてきた。

さらに、人権のイデオロギー化は、被害者の代弁者、例えば、弁護士、政治家、活動家、さらには被害者の子孫などが、被害者の声を離れた急進的で非妥協的な要求に発展することでも生じる。

それは、被害者「側」が被害性に伴う道徳的優位意識を政治権力と誤解していることもあるし、意図的に政治的に利用していることもある。

韓国人元慰安婦の支援団体は、国家補償要求を譲らず、日本からの道義的償いを受け取った韓国人元慰安婦までもを批判した。また、支援者側は、慰安婦問題資料をユネスコ「世界の記憶」に登録申請したことについて、日本政府がそれをユネスコの政治利用であると批判したことについては、支援者側は「日本が人権を尊重する国であるならば」登録を妨害してはならないと応じじるのみであった。

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