待遇は悪化の一途で年間離職率2割の介護現場 介護保険制度が導いたスタッフ困窮化の必然
「月収が10万円も減っている」。東京の西部にある特別養護老人ホームで働く広岡猛さん(仮名、35)は、今年5月の給与明細を見て愕然とした。4月には手取り30万円を超えた月収が、翌月には20万円を割り込んでいた。
広岡さんは介護業界で働き始めて15年。今の職場でもすでに10年近く働き、現場の中枢を担っている。伏線はあった。5年前から賃金のベースアップはなくなり、一時は年間5カ月分以上出たことがあった賞与も1カ月分まで落ち込んでいた。新規で採用された職員は数年働いても月収20万円以下に抑えられていた。
妻と小学生の2人の娘の生活がかかっており、法人の理事長、施設長と交渉を重ねたが、ただただ「経営が苦しい」と繰り返すのみだった。結局、広岡さんは退職し7月から別の法人に移り働いている。「10年近く施設で働いて腰痛は持病になり、一時はズボンもはけない程のひざ痛にも苦しんだ。なのにこうした仕打ちを受けるとは」。
「子どもを食べさせるためにはつらい思いをしても頑張るしかない。そんな状況の人でないと、ヘルパーの仕事はとても続かない」。東京都東部で訪問介護ヘルパーとして働いてきた岡部貴子さん(仮名、52)は語る。岡部さんは8年前に夫を胃ガンで亡くして以来、2人の息子を女手一つで育ててきた。週5日、朝8時から夕方の6時過ぎまで、一日4~5軒を訪問。当時は昼食やトイレの時間もままならぬほどの忙しさだった。それでも月収は18万円程度。日々の生活が精いっぱいの水準だ。
そんな岡部さんは今年の春からヘルパーを辞めて、別の仕事をしている。「重度の利用者が増えて仕事はさらにきつくなる反面、利用者数は減って収入が激減した」(岡部さん)ためだ。ヘルパーのほとんどは登録型の働き方。利用者減で収入にならない待機時間が増えた結果、岡部さんの月収は12万円まで落ち込み、生活設計が立てられなくなった。
介護保険制度の導入で高齢者介護サービスの従事者は急増した。1993年の約17万人から、05年には約197万人と12倍に達している。ところが従事者の待遇は悪化の一途をたどっている。給与水準は全労働者の平均給与と比較して低い水準にあることを厚生労働省も認めており、非正規職員の割合は近年増加し、今では4割(05年実績)を占め、訪問介護では8割に至る。離職率も2割と高いため、常態的に求人募集が行われている。
なぜそうした事態に陥ってしまったのか。00年の介護保険制度の導入前、介護サービスは政府が行う措置制度で運用されており、特養ホームの職員の賃金、労働条件も公務員に準拠したものだった。ところが制度導入後はそうした縛りがなくなり、職員配置基準も常勤時間換算へと緩和された結果、多くの施設で職員の非正規化が進められた。訪問介護も自治体直営や社会福祉協議会への委託の廃止・縮小に伴い常勤ヘルパーはほとんど姿を消した。鹿児島大学の伊藤周平教授(社会保障法)は、「財政事情の悪化もあり、多くの自治体は介護サービスから撤退したいと考えており、介護保険制度の導入は渡りに船だった」と分析する。