――レガシィの評価は辰己さんの“神の一声”に委ねられましたが、社内には多くの実験担当者がいる中、なぜ辰己さんが選抜されたとお考えですか?
辰己:選んだ人がどう考えていたかはわかりませんが、趣味でモータースポーツをやっていたので「あいつならできるんじゃないか」という感じだったと思います(笑)。
当時、私はレオーネでダートトライアルに参戦していていましたが、全日本でたまに勝ったり、オールスターでいい順位を走っていたので、実績を見てくれていたのでしょう。
――今までのスバルとは違うクルマづくりを目指したわけですが、開発するうえでベンチマークはあったのでしょうか?
辰己:メルセデスベンツ・ベンツ「190E」です。レオーネ時代からあったモデルですが、乗ってみると走りも乗り心地もいい。「こんなクルマをAWDで作りたい」というのが大きな目標でした。
実際に調べると、同じクルマなのにレオーネとはボディ剛性はもちろん、走りを構築する部品がまったく違う。まずは、見よう見まねでベンツを測定/数値化して、これを超えようと考えました。
例えばサスペンションストロークを計測して200mmあれば、我々も200mmにしようと。また、サス剛性やロールセンター、ロー変化、キャンバー変化など、測れるところはすべて計測して、いいと思った部分はマネしました。当時は「なぜいいのか」を調べてからでは間に合いませんでしたので……。
「AWDは曲がらない」という定説を覆す
こうして誕生した初代レガシィの走りは、高く評価された。とくに、コーナリング性能への評価が高かった。当時レオーネをはじめとするAWD車は「曲がらない」が定説だったが、レガシィは「曲がるAWD」を実現していたのである。
当時、辰己氏とともに初代レガシィで「N1耐久レース」に参戦していたレーサー/モータージャーナリストの桂伸一氏は「驚くほど軽快な動きとアンダーステアが少ないハンドリングに、4駆とは思えないコーナリングマシンだった。天候次第では本気でGT-R(R32)に勝つ意気込みでレースを戦った」と語っている。
また、当時ドイツ・ニュルブルクリンクでのテスト終了後に、各社のクルマを交換して乗り合いすることがあったそうだが、ポルシェのテストドライバーにレガシィに乗せたら「こんなによくできているとは思わなかった」と言われたという逸話もある。
では、どのようにして「曲がるAWD」は生まれたのだろうか。
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