「初代レガシィ」開発者が明かしたヒットの核心 190Eを目指した辰己英治氏の「神の一声」

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――そこからレガシィが生まれるには、どんなきっかけがあったのでしょうか?

辰己:その経緯は詳しくわかりませんが、「このままでは技術のスバルとは言えない」と会社が本気になったのだと思っています。

かつては「スバル360」や「スバル1000」のように“技術”で自慢できるモデルがありましたが、レオーネは……。経営陣の「クルマで勝負する」、「本気でいいクルマを作りたい」という思いが会社全体に伝わりました。

――レオーネにはターボやフルタイム4WDも設定されていました。システム的にはレガシィと同じですが?

辰己:こんなことを言ったら怒られてしまうかもしれませんが、今思えば「なんとなく」作っていたような気がします。「問題なく動くよね」、「雪道で使えればOKでしょ」と……。

ニュルブルクリンク24時間レースに参戦する「WRX STI」と辰己英治氏(写真:SUBARU)

ただ、実際は多くの人が走る舗装路で気持ちよく走れず、自社のクルマなのに積極的にアピールすることもできませんでした。

4輪駆動も今のように安心/安全ではなく、走破性の高さばかりをアピールしていました。当然、それでは積雪地域でしか売れません。今思うと、クルマを開発するうえで「明確な目標」がなかったのかもしれませんね。

開発体制も刷新して日本一を目指す

そんな経緯から開発されたのが、開発コード「44B」と呼ばれた初代レガシィだったのだ。

開発コンセプトは単純明快で「日本でいちばんいいセダン/ワゴンを作る」だった。その実現のために、プラットフォームはスバル1000以来となる全面新設計で、サスペンションは4輪ストラットが奢られた。

「レガシィRS」に搭載された「EJ20」水平対向4気筒ターボエンジン(写真:SUBARU)

エンジンもレオーネと同じ水平対向ながら、完全新設計の「EJ」を開発。トップモデルのRSには220psを発生するターボエンジンも設定された。また、開発手法も新たな手法が取り入れられ、これまでの縦割り&技術主導からプロジェクトチーム制へと変更された。

再び辰己氏に話を聞いてみよう。

――レガシィでメカニズムだけでなく、開発体制まで刷新した理由は?

辰己:それは“日本一”を目指すためです。もちろん、レオーネ時代も志としては持っていましたが、恐れ多くて口にすることは……(笑)。

「AWDは曲がらない」、「カッコ悪い、背か高い」といったネガな部分をすべて払拭させようと考えたのです。そのためには、2リッターターボでいちばん速いエンジン、走りのためにはサスペンションはセミトレではなくストラット……と、すべてを新規で開発する必要がありました。

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