オペル、14年ぶりの日本再参入に勝算はあるか 知名度ゼロからの市場開拓には挑戦が必要だ

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2021年より販売されるオペル車のひとつ「コルサ」(写真:オペル)

今年2月、ドイツの「オペル」が2021年から日本市場に再参入するとの報に触れ、寝耳に水というか青天の霹靂というか、突然のことで驚くとともに「今さらなぜ」との思いが頭をよぎった。2006年に日本市場から撤退してから14年の歳月が経ち、輸入車の枠組みからすっかりその名が消えていたからである。

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オペルはドイツの自動車メーカーで、1899年に誕生した。それまではミシンや自転車を製造していたメーカーであった。自動車メーカーとしては1999年に100周年を迎え、ドイツではメルセデス・ベンツに次ぐ古参である。

ちなみに、アウディの創始者であるアウグスト・ホルヒが、自らのガソリンエンジン自動車を作ったのも1899年であった。BMWの創業は1916年だ。フォルクスワーゲンが自動車メーカーとして動き出したのは1937年だが、実質的には戦後「タイプ1(通称ビートル)」が発売されてからのことになる。

身近な価格と確かな品質がオペルの本質

歴史ある自動車メーカーでありながら、オペルの国内での知名度は低い。メルセデス・ベンツは「ベンツ」として広く名が知られ、BMWは「ビーエム」と呼ばれ、フォルクスワーゲンは最初の「ビートル」の愛称で人々の間に広く行き渡った。しかし、オペルと聞いて外観を思い出す人はいつの時代も少ない。

一方、欧州でオペルは、フォルクスワーゲンやフォードと並んで大衆的で質実剛健なクルマを作るメーカーとして知られている。また英国では、ヴォクスホール(Vauxhall)の名で売られ、浸透した。

ドクトル・ヴァーゲンと呼ばれた「4/8 hp」(写真:オペル)

オペルは、1909年のドクトル・ヴァーゲン(英語でいえばドクター・カー)で早くも廉価な小型車を作るメーカーとして名をあげた。医者が往診に出かけるときに乗るクルマとして最適との評価を得て、そう呼ばれたのである。

また、1911年には大きな工場火災を起こしたが、それを糧として消防車を作り、毎分2000リットルの水を供給する高圧ポンプを搭載して、高い評判を得た。クルマの持つ機動性と実利を身近な価格と確かな品質で提供することが、創業の初期からオペルの特徴となっていった。

背景にあるのは、アダム・オペルという創業者と、その事業を受け継いだ5人兄弟による経営の理念である。

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