日本人が「お上の要請」に真面目に従う根本意識 統治客体意識からの脱却は20年以上叫ばれたが

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武蔵野市は職員が街頭に出て「できる限り」外出しないよう求めた(写真:つのだよしお/アフロ)

新型コロナウイルスの感染拡大によって、日本全国に「緊急事態宣言」が発令され、国民には外出の自粛、特定の業種には営業の自粛が要請された。

ところが、休日になると湘南の海に人が殺到。慌てた自治体は、地元の駐車場を閉鎖して、県知事が「神奈川には来ないで」と会見で訴えた。休業要請に応じず営業を続けていたパチンコ店に、大阪府知事は全国で初めて店舗名を公表して、法に基づくより強い要請を出した。

人との接触を最低7割、極力8割削減することを呼びかけた政府は、その目標に近づけようと、経済団体はじめ、あちらこちらに、とにかく「要請」を出し続ける。

夜の東京の繁華街には警察官や都の職員らがまわって、帰宅の呼びかけや営業中の飲食店の閉店を求めている。是が非でも「自粛要請」を徹底しようと、行政側はあの手この手を尽くす。

なぜ、ロックダウン(都市封鎖)をしないのか――。欧米諸国のように、市民の外出禁止を伴うロックダウンを実施してしまったほうが、早くて効率的ではないのかと考える読者の方もいるだろう。しかし、日本にはそうできる法的根拠はない。

日本の統治機構の歴史を考えてみる

「緊急事態宣言」の根拠となった改正新型インフルエンザ等対策特別措置法には、国民の外出自粛の要請、施設や事業の営業の自粛要請ができるが、そこに罰則規定はない。あくまで行政から国民への「要請」なのだ。そこには、日本の統治機構の歴史に染み込んだ国民性が根本にある。

そもそも、国民に外出禁止や営業停止を強いることは、私権を奪うことである。強制や強要となれば、戦争に突き進んだ過去の苦い経験が、重くのしかかる。戦後に制定された日本国憲法とも齟齬が生じかねない。

それが歯止めとなって、罰則のない国民への「自粛」と「要請」で「緊急事態」を乗り切ろうという日本独自の姿勢を貫いている。そう考えると、強制力行使への抵抗から、法律に「要請」しか盛り込まなかった理由もわかりやすい。

だが、それだけだろうか? 

むしろ、「要請」でも日本人は真面目に従うという、日本の歴史に裏打ちされた統治機構側の無意識が働いていたというべきだろう。

いまから20年前のいわゆる「小泉構造改革」を思い出してほしい。郵政民営化など、小泉純一郎内閣が取り組んだ政策課題だ。もっと言えば、新自由主義への転換を目指したものだった。

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