鹿児島から異色アートを発信する男の快活人生 「しょうぶ学園」がありのままを受け入れる訳

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知的障害や精神障害のある人たちが暮らす福祉施設「しょうぶ学園」の利用者が制作した作品は、国内外で高い評価を受けている(©︎しょうぶ学園)
これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむが神髄を紡ぐ連載の第78回。
(※今回の取材は2020年1月14日に実施)

国内外で高い評価を受ける芸術作品や音楽

福森伸さん(60歳)は、知的障害や精神障害のある人たちが集まり暮らしている複合型の福祉施設、「しょうぶ学園」(鹿児島県鹿児島市)の統括施設長だ。

現在、「しょうぶ学園」の利用者が制作した、クラフトやアート作品、音楽活動は、国内外で高い評価を受けている。

制作する「しょうぶ学園」の利用者たち。作品は国内外で高い評価を受けている(©︎しょうぶ学園)

作品のいくつかを見せてもらったが、胸をわしづかみにされるような、迫力のある作品が多かった。

ただ、「しょうぶ学園」ははじめから、ものづくりを目指していたわけではないという。どのような遍歴を経て、今の形になったのか?

自著『ありのままがあるところ』(晶文社)の発売を記念した講演会で東京に来た福森さんに話を聞いた。

福森さんは、鹿児島で3兄弟の末っ子として生まれた。しょうぶ学園のある場所からほど近い場所に実家があった。

父親は、地元鹿児島の新聞記者だった。母親は、児童障害児施設で働いていた。

「小学校の頃は学校帰りに、母親が働く施設に遊びに行ってましたね。利用者とは違和感なくフレンドリーな関係でした。それで、仕事が終わった母親と一緒に帰っていました」

子供の頃から、運動神経は優れていた。

小学校時代は剣道をやっていた。中学校に入っても剣道部を続けたが、2年のときに

「バレー部に入ったら身長が大きくなるぞ」

という噂をすぐに信じて、バレー部に入った。だが大きくならなかったので、辞めてサッカー部に入った。

中学3年間、1学年おきに違う部活で活動したことになる。

中学1年のときに、母親が「障害者のための施設を始めたい」と言い始めた。

父親は

「事業をやるなら、夫婦一緒にやったほうがいい」

と言い、2人で始めることになった。

こうして「しょうぶ学園」の歴史は始まった。だが福森さんは中学校に入った頃からは、思春期になったこともあり、あまり施設には遊びに行かなくなっていた。

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