母親の暴力について、ゆきさんはこんなふうに話します。
「母は(知的障害があった)姉のことを『人一倍、ちゃんとみていかなきゃいけない』みたいに思って、自分を戒めるタイプやったんかな。“ふつうの子”を育ててる人との差を感じたりもしたのか。それで地域からも孤立していて。父親は浮気を繰り返し、母にとっての支えではなかったし。
そういうなかで、私に期待が集中したのもあります。自分が死んだときに、ちゃんと(姉とゆきさんが)2人で生きていけるようになってほしい、という感じで育ててたんで。でも私、すごく忘れっぽかったんですよ。1日3つは忘れ物をするのがデフォルト、みたいな。それを母は『なんで直らへんのやろ』って思い悩んで、たぶん誰にも相談できなくて、手が出ていたと思うんです」
なるほど、母親の孤立した状況が目に浮かんできます。ゆきさんが忘れっぽかったのは、家のストレスが要因だった可能性も考えられますが、母親もつらかったのでしょう。しかし、だからといって、子どもに暴力を振るっていいわけがありません。
それにしても、ゆきさんは16歳の年齢で、どうしてこれほど多面的に物事を捉えることができるのか。驚いていると、「客観的に考えないと切り抜けられない場面が昔から多かったので」というのでした。
父親に殴られながら家事と受験勉強をこなす日々
知的障害がある姉は、ゆきさんと同じ学校の特別支援学級に通っていました。ゆきさんは小2のとき、登校班で姉をいじめる5年生の男の子を「後ろからバーンと引っ張って」、校長室に呼び出されたことがあるそう。度胸のある子どもです。
「腹が立ったんですよ。卑怯なことをする人が嫌いで。あとで母が学校に連絡を入れて、姉がいじめられていることを言ったら、いちおう事実確認のために子どもたちが集められたんですけど、みんな『知らない』『そんなことしてないし』みたいな感じで終わってしまって。すごい不服だったのは覚えています」
小6の夏、学校からの通告でゆきさんが児相に数日間保護されたことは、母親にはショックが大きかったようです。母親は「なんで(児相に)殴られたって言ったん? 『隠せ』って言ったやん」と言って寝込むようになり、父親もまるでゆきさんのせいで母親の具合が悪くなったかのように、彼女を責めました。
「ああ、全部私のせいなんだ、って思うようになって。自己嫌悪の、負のスパイラルの始まりでした」
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