近所の「赤の他人」に育てられた娘が抱えた苦悩

実の親"不在"の日々が人生に与えた影響

「二重生活」だった幼少期の両親との関係や、“赤の他人”と呼ぶもう1つの家族について聞かせてもらいました(写真:筆者撮影)

「生後間もない頃から“赤の他人”に預けられて、生家とは行ったり来たりの生活でした。私にとっての家族は“赤の他人”のほうです」

出張先で知り合った、ある女性の言葉です。私がこの連載を書いていることを知り、ふと自分の話をしてくれたのでした。

「私にとっての家族」と言いながら“赤の他人”と呼ぶのはなぜか? 近しいような、でも突き放すような表現に、興味をひかれました。

佐原すみれさん(仮名、52歳)。西日本の、ある街に住んでいます。翌日、私が千葉に帰る前に時間をもらい、空港の喫茶店で話を聞かせてもらったのでした。

近所の「かあちゃん」の家で過ごした幼少の日々

すみれさんの両親は、彼女が小さかった頃、近くの繁華街でスナックバーを経営していました。昭和の時代によくあった、カウンター付きの飲食店です。開店は夜の19時。何時まで営業していたかはわかりませんが、おそらく明け方だったでしょう。

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生後3カ月の頃から、すみれさんは店の近所の家に預けられていました。その家は、夫婦と娘の3人家族でしたが、夫は遠洋漁業に出ており、娘も大きくなって上京していたため、家にいたのはほぼ妻のみ。すみれさんが「かあちゃん」と呼んでいた女性です。

なぜその家に預けられたのか? はっきりと聞いたことはありませんが、その町は男性が遠洋漁業に出ている家が多かったため「横のつながり」が比較的濃かったようです。「かあちゃん」の家のほかにも、小さな子のめんどうを見る家は何軒かあったといいます。

「かあちゃん」の娘も養子で、もともとは市内に住む別の夫婦の子どもだったことを、すみれさんは大人たちの会話から知っていました。

物心がついたときには、すみれさんは「かあちゃん」の家から幼稚園に通っていました。幼稚園が終わると実の両親がいる家に「帰る」のですが、夕飯の頃にはまた「かあちゃん」の家に「帰る」。いま振り返ると、ある種の「二重生活」だったといいますが、当時はそれが彼女の“当たり前”でした。

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