「晩ごはんも朝ごはんも、その家で食べさせてもらって。一緒に風呂に入って、一緒に寝て。小さいときからそうやって生活していたから、何の違和感もなかった」と、すみれさんはいいます。
「かあちゃん」の夫も、たまに漁から上がって家にいたときは、すみれさんとよく遊んでくれました。すみれさんの母親は「かあちゃん」たちのことを、「天使みたいな夫婦」「非の打ちどころがない人たち」と言っていたそう。
ところが、すみれさんが小4のとき「かあちゃん」一家は市内で引っ越すことになり、すみれさんを預かれなくなってしまいます。そう遠い場所ではなかったものの、すみれさんにとっては辛いことでした。「二重に親に捨てられた気分だった」といいます。
この頃すみれさんは、「かあちゃん」の財布からお金を抜いてしまったことがありますが、「かあちゃん」はお見通しでした。謝りにいったすみれさんと母親に、「私たちが引っ越してしまう寂しさから、やってしまったんだろう」と話したということです。
家のなかに両親がいると、余計に“独り”を感じた
「かあちゃん」が引っ越してからもしばらくは、よく新居に遊びに行っていたものの、普段のすみれさんは「1人暮らし」の心境でした。最初のうちは、近くの短大生が家庭教師&シッターとして来てくれていましたが、その女性が短大を卒業してからは、「もう本当に1人やった」といいます。
中学や高校の頃、朝ごはんや弁当をどうしていたのかは、記憶にありません。朝起きると両親はいつも寝ていました。「ひょっとしたら外で買ってきたものを持っていっていたのかも」しれないし、「食べていない可能性もある」と、すみれさんは話します。
日曜や祝日は、両親も休みで家にいたのですが、でもそれはすみれさんにとって、むしろ辛い時間だったといいます。
「家に誰もいないのが“ふつう”になってしまっていて、誰かいるということがすごくストレスでした。なんででしょうね。ずっと1人でいたから『1人はもう、絶対嫌や』と思っている。なのに、家族でいると、余計に“独り”を感じるんです」
両親ともに外に恋人がいることも、すみれさんは知っていました。中学のとき、母親は恋人との旅行に、すみれさんと店のアルバイトを連れていったことがあります。朝方、母親と恋人が隣の部屋で「もそもそしている」のに気づいてしまってからは、母親との間にますます距離が生まれました。
時は1980年代、「ツッパリ文化」の最盛期です。同級生にもいわゆる“不良”はたくさんいました。なぜ、そちらの方向にいかなかったのか? すみれさんは、自分がグレなかったのは「かあちゃん」の家での生活があったからかもしれないといいます。
「ひょっとしたら、育ててもらったあの親に申し訳ない、という気持ちがあったのかも。自分の(生みの)親に対しては思っていなかったけれど、こっちの(育ててくれた)親に対しては『迷惑をかけちゃいけない』みたいな思いがあったかもしれないですね」
すみれさんは「かあちゃん」のことを“赤の他人”と呼んだり“親”と呼んだりします。彼女にとって「かあちゃん」は特別な人ですが、完全には甘えられない、少し遠い人でもあったのでしょう。
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