中2の6月、事件が起きました。日曜参観が行われた、父の日のことです。すみれさんが朝起きてリビングに入ると、部屋中が「卵焼きだらけ」でした。原型をとどめない卵焼きがそこら中に散らばり、「テレビのスピーカーの穴」にまで卵焼きが詰まっていました。
何が起きたのか? 尋ねると、その日、父は数年ぶりに大好きな釣りに行くことになっており、前から母親に弁当づくりを頼んでいたそう。ところが前日の夜、母親は酔っていたためか、店から卵焼きだけを大量に持ち帰り、卵焼きオンリーの弁当を用意しました。これに父がブチ切れた、というのです。
母親は「お父さんとけんかをしたから、ちょっと家を出ていく」とすみれさんに告げ、それから1週間ほど帰ってこなかったそう。授業参観には当然、すみれさんの母親も父親も現れませんでした。
すみれさんの沈んだ表情に気付いたのか、他クラスの友人が「放課後、ショッピングモールに行こう」と誘ってくれたことが、唯一の慰めでした。ショッピングモールですみれさんは、父の日のプレゼントに、小さな黄色いバラの花束を買って帰ったといいます。
いま母親が生きているかもわからない
数日後のことです。夜中にふと目覚めると、仕事から帰った父親がベッドの横に立ち、すみれさんに謝っていました。「夫婦のことで、お前に嫌な思いをさせてごめんな」。寝ているふりをしていましたが、このときのことは、いまもよく覚えているそう。
母親はすみれさんに、「あんたが高校を出るまでは離婚しない、それまで我慢しておく」と言っていましたが、結局彼女が高校を卒業しても、別れることはありませんでした。
「別れたかったら別れればええやん、と。私のせいで離婚できない、みたいに言われるのは、すごい迷惑な話やなって思っていました」
高校を卒業した後、すみれさんは遠方の大学に進学し、以来家にはほとんど帰っていません。たまに連絡は取っていたものの、母親から何度か金の無心をされてからは完全に連絡を絶ち、いまは生きているかどうかもわからないといいます。
父親と最後に会話をしたのは、今から約15年前。すみれさんが珍しく弱気になって実家に電話をしたところ、父親が出てこういいました。「お前のことやから、無理しとるんやろうな」――その言葉に、すみれさんは「全部救われた気分」になったといいます。父親は、すみれさんが小さいときから抱えてきた苦しさを、よくわかっていたのでした。
父親が亡くなったのは、それから約5年後のことでした。風の便りにすみれさんが知ったのは、その2年後です。
「かあちゃん」も、その後どうしたか、まったくわかりません。先日ふと、その家の土地と建物の登記簿を調べてみたところ、孫にあたる人物が相続をしていることがわかったそう。「かあちゃん」も夫も、養子だった娘も、すでに亡くなっているようです。
すみれさんは、淡々と、過去を語ります。過ぎたことは過ぎたこと。いまこのときを、生きていくしかありません。
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