型にはまった人はアートの本質をわかってない 常識を破り、従来とは違う価値観を生み出す
マティスはどのようにしてこんな表現を生み出すことができたのでしょう。既存の価値観や定石を外す、とは「言うは易し」ですが、正解が見えない世界に飛び込む、ということでもあります。
まったくお手本もなく、学んだことや先達のやり方も捨てて、ひとりカンバスに向かう。そのとき、どんな線が描けるでしょうか? この線でいいのか? もう5ミリ右? お尻はもっと丸く? この色でいいのか? もっと似合う色があるかもしれない。
無限の可能性と同時に、拠り所のない不安が訪れます。お手本がない、というのは実は怖いことなのです。なぜその絵がそのようでなければならなかったのか、その理由は「自分」にしかなく、頼れるのは「自分」の感覚しかありません。
マティスの絵の斬新さは、アングルのような正統派の絵に対するアンチテーゼ、いわゆる「逆張り」のようにも思えます。アートシンキングについて話すと「つまり逆張りですね!」と言われることがありますが、僕はアートシンキングとは逆張りではなく、「究極の順張り」だと思っています。もちろん、マティスは既存の絵画を意識したでしょうし、過去の価値観にとらわれない表現を模索したにちがいありません。
しかし、単なる否定だけでは絵は描けません。常識を離れ、何かを自ら選び決定していくということは、それまで以上に「自分」に向き合うことなのです。
「自分」起点が世界を変える
新規事業やイノベーションで大事なのは新規性だと思われがちですが、奇をてらった「逆張り」のアイデアは付け焼き刃でしかなく、やがてメッキがはがれます。拙著『ハウ・トゥ アート・シンキング』でも解説しているように、それよりも大事なのは「自分」に根ざしていることです。
なぜか?
イノベーションはマティスが酷評されたように、世間から必ず否定されるからです。否定してくる既存の価値観に対してわかるように説明できる言葉もありません。それでもその価値を信じて発し続け、むしろ世界のほうを変えてしまう、それがイノベーションです。抵抗にも負けないためには「自分」に深く根ざした無尽蔵なエネルギーが必要なのです。
とはいえ実は、人は「自分」がどんなものか、自分ではあまりわかっていません。ほとんどの場合、誰かが決めたルールや価値観に従ってばかりで「自分」で判断をしていないからです。マティスが「美」を疑ったように、常識に違和感を感じ、それに反してでも自分らしくあろうともがき、否定や抵抗に出会う中で人ははじめて「自分」の形を見つけることができるのです。
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