型にはまった人はアートの本質をわかってない 常識を破り、従来とは違う価値観を生み出す

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ドミニク・アングルの『ホメロス礼賛』

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サロン・ド・バリは「サロン・ナシオナル(国のサロン)」とも呼ばれ、厳格な審査があり権威主義的・保守的だったため、不満をもった若い画家たちはサロンとは違う新しい表現を模索していました。

そして1905年、国のサロンに対抗したインディペンデント系の展覧会「サロン・ドートンヌ(秋のサロン)」に、マティスはほかの若手画家とともに作品を発表します。

この展覧会を見た批評家は、マティスたちの激しい色使いや荒々しいタッチに反発し、「野獣」と酷評しました。技巧と美を旨とするフランス美術界においてはあまりに暴力的で異端的だったのです。しかし、最初は全否定された「野獣」たちは徐々に人気となり、やがて「野獣派」というムーブメントとなります。『ダンス』はそんな野獣時代のマティスの代表作なのです。

イノベーションとしての『ダンス』

改めてマティスの『ダンス』を見てみましょう。デッサンの狂った全裸の人たち。遠近法も陰影法も題材の正統性も、既存の価値観で「よし」とされたものをどれも放棄しています。

既存の価値観から見ると、この絵はつたなく、バカげたものにも見えます。しかしこの冒険によってマティスは絵画の常識を打ち破り、アップデートし、表現の可能性を押し広げました。絵画は今や題材の忠実な再現でなくてもよいし、遠近法からも自由になったのです。

イノベーションはしばしば、『ダンス』のようなものです。それまでのセオリーを逸脱しているため、既存の価値観からは理解されません。

ここで少し想像を膨らませて、当時のマティスの気持ちになってみましょう。

国からのお墨付きを得て正統で「美しい」絵画が評価される世界で、ここまで逸脱したものを提出するのはだいぶドキドキする行為です。いわゆる「ヤバい」やつです。もしかしたら「バカ」の烙印を押され画家として食べていけなくなるかもしれない。会社員なら評価はDランク、下手したら降格もの、それくらいの逸脱です。

しかしマティスの勇気がなければ、絵画は今、これほど自由でなかったかもしれません。絵画は忠実な再現でなくともよいし、リズムや動き、生の脈動を描くこともできる。マティスはたしかに価値観そのものを変えたのです。

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