人間を支える「原風景」
山折:その作品を読んで、私は2つのことを知りました。
ひとつは、彼が北海道の網走の生まれで、貧困と飢餓からものすごい虐待を受けていたこと。母親に3度捨てられたと言っているくらいです。そういう経験の中であの犯罪を犯したわけです。
一方、彼は知的にはかなりのものを持っていたようです。小説をずっと書き続けて、獄中で書いた『無知の涙』は、世間でも話題になりました。彼の告白の中に、自分は小学校のとき、石川啄木が大好きだったとあります。それからいろんな人生経験を経て、米軍基地からピストルを奪って第1の殺人を行う。その直前まで読んでいたのがドストエフスキーの『罪と罰』です。ラスコーリニコフが自己中心的な人間で高利貸しの老婆を殺す。その場面を読んだ直後に犯罪を犯しているんですね。
ところが彼は、その後にラスコーリニコフが娼婦のソーニャと出会って救われる話まで読んでいないわけです。これもやっぱりショックでしたね。あの悲劇の少年がその青春時代の同伴者にしたのが、啄木とドストエフスキーだったわけです。
そのことから、戦後の文学研究や文学教育のあり方について反省しました。私は犯罪防止という点から、文学の持っている力はものすごく大きいと思いますが、それを気づかせるのに、精神鑑定書が世に現れるまで20年が経っているわけです。
この問題は、司法ともかかわるでしょうし、文学者ともかかわるでしょうし、学校教育ともかかわります。それこそ、大学における文理融合の研究体制をどう築くべきかという問題にもつながります。
安西:人それぞれの教養といいましょうか、人が何かをするときの判断する土台というか、基準が何かということですね。永山則夫であれば、そういう人生の体験と生まれたときからの境遇というものがある。人それぞれいろんな体験がありますが、それを乗り越えて、判断するための土台を、どうやって身に付けたらいいのかということですね。
山折:そういうことになりますね。
安西:いわゆる殺人とか子殺しとか、その多くはやはり家庭環境が関与していると思います。それぞれ理由があるとは思いますが、そこを本当に乗り越えるだけの“よすが”というのが、本来の教養だと思っています。慶應の塾長をしていたときに「教養研究センター」を創設したのですが、そのとき思っていたのは、山折先生がおっしゃっているような、文とか理とかを超えた、人間の最も人間的な部分を、大学人自身がどう自省していくか、それを考える拠点を、学生への教養教育を考える以前に立てるべきではないか、ということでした。
山折:ちなみに、永山則夫の場合に印象的なのは、たくさん兄弟がいることです。いちばん上のお姉さんはちょっと知的に遅れているのですが、そのお姉さんと小さい頃、網走の海岸に行って砂遊びをした。そうした原風景が時々出てくるんですね。人間はそれぞれ子供の頃の忘れがたい、自然と触れ合う原風景みたいなものが心の奥にある。そして危機的な状況に再会すると、そういう原風景がよみがえってきて、それに支えられて乗り越えられると。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら