「神さま」幸之助に異を唱え続けた経営哲学 「22段跳び」の山下俊彦氏が再評価される理由

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山下さんは「事業構造」の変革を、社員一人ひとりを揺り動かす「運動」として組織しました。「経営とは感動を与えること」。これが、山下さんの一貫した経営信念でした。会社が大きく変わること、そして社員が主体的にそこに関わっていくこと。それが一人ひとりの感動の源泉になると考えたのです。

山下さんは不思議な経営者でした。社長になるはずのない男でした。学歴は工業学校止まり。1度は松下電器を辞めた出戻りです。「経営の神さま」、幸之助翁の「教え」から最も遠い男でもあったのです。

社長に抜擢された後も「こんな迷惑はない」とぼやき続けました。ぼやき続けたのは、「教え」から最も遠い自分は、やがて「神さま」と対峙することになる、とわかっていたからです。実際に一時期、「神さま」は激しくいら立つのですが、山下さんが自分を曲げることはなく、ついに「神さま」は山下さんを受け入れ、2人は大きく和解するのです。

ありえたかもしれない「もう1つの日本」

山下さんは権力欲のかけらもない人物でした。山下さんの大きな無欲が、ブラックホールのように「神さま」まで吸い込んでしまったのです。ちなみに、とある料亭でたまたま司馬遼太郎さんと話し込んだことがありました。後で司馬さんが言ったそうです。「何ですな。あれは珍しい社長さんですな。ぼくらの仲間に入れてもよろしいな」。

山下さんの不思議な“力”をもう1つ、披露しておきましょう。現在、たった1社で日本エレクトロニクス産業の倍の売り上げを上げるサムスン電子の成功の秘密は2つあります。1つは、日本が怖じ気づいた後も、果敢に半導体投資の手を緩めなかったこと。もう1つは、携帯電話をはじめとした製品政策のど真ん中にデザインを据えたことです。

すでに述べたように、山下さんの「事業構造改革」の最大のテーマは半導体でした。そして、サムスンがデザインの重要性に気づくはるか前、社内の無理解に悩むデザイナーに山下さんはこう言っています。「それでいいと思いますよ。何もわれわれ(経営者)がわかることばかりやるのではなく、あなた方(デザイナー)でなければ理解できないことをやっていいと思うのです」。

もしも、山下さんという経営資源、経営思想が後の世代にしっかり継承されていたなら、と思わざるをえません。もしも、山下さんが継承されていたなら、かくも無残な日本エレクトロニクス産業の「敗北」はありえなかった。今とは違う「もう1つの日本」が生まれていたかもしれない。

そしてそのときの「もう1つの日本」は、アメリカのラウンドテーブルなどは及びもつかない、はるかに豊かで人間的な経営思想に貫かれた、輝かしい日本のはずだったのです。詮ないことと知りながら、そんな思いを抑えられないのです。

梅沢 正邦 経済ジャーナリスト

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うめざわ まさくに / Masakuni Umezawa

1949年生まれ。1971年東京大学経済学部卒業。東洋経済新報社に入社し、編集局記者として流通業、プラント・造船・航空機、通信・エレクトロニクス、商社などを担当。『金融ビジネス』編集長、『週刊東洋経済』副編集長を経て、2001年論説委員長。2009年退社し現在に至る。著書に『カリスマたちは上機嫌――日本を変える13人の起業家』(東洋経済新報社、2001年)、『失敗するから人生だ。』(東洋経済新報社、2013年)。

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