「神さま」幸之助に異を唱え続けた経営哲学 「22段跳び」の山下俊彦氏が再評価される理由

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山下さんが社長を務めたのは、手放しで「日本的経営」が礼賛された時代です。終身雇用を約束し、「和」を称揚する「日本的経営」は、アングロサクソン流に比べればはるかに人間的ですが、しかし、それは同時に、「全体」=会社に「個」を従属させる、家父長的な経営でもありました。山下さんは1人、その「日本的経営」にも異を唱えたのです。社長2年目の年頭、高らかに宣言します。

「理想的な企業はいかにあるべきか。従業員一人ひとりの目標の延長線上に、会社の目標もある。そういう姿が一番望ましいわけです」。「全体」=会社ではなく、まず一人ひとりの「個」がある。山下さんは、自立した「個」、一人ひとりのダイバーシティー(多様性)を企業の基礎に置こうとしたのです。「日本的経営」を軽々と超え、遠く半世紀後の今日を見据えるような経営思想でした。

言うまでもなく、「日本的経営」の右代表は「経営の神さま」、松下幸之助翁です。“幸之助教”一色に染め上げられた松下電器で山下さんは、奇跡のように、世界と未来に通じる経営を確立しようとしていたのです。

絶頂期に大変革を決断

山下さんには未来が見えたのでしょうか。そう思うのは、日本エレクトロニクス産業の危機を的確に予見していたからです。

1980年代、この国は自ら「電子立国ニッポン」と称していました。日本の家電製品が世界市場を席巻し、半導体も、アメリカを抜き去り、日本がトップに立ったのです。世界から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称えられ、繁栄は永遠に続くかに見えました。

ところが日本エレクトロニクス産業の生産額は今、2000年の26兆円の半分以下、11.6兆円に転げ落ちています。さらに言えば、日本エレクトロニクス産業が束になっても、お隣のサムスン電子1社の売り上げの半分にしか届かないのです。身悶えしたくなるような「エレクトロニクス敗戦」です。

「敗戦」は、日本国中が舞い上がった、あのバブル時代に準備されていました。おごり高ぶり、自足し、内向きになった日本。「変わろう」とする意思を失ったのです。

山下さんは、バブルがまだ地平線に姿を現していないときに、こう言い切りました。「ほろびゆくものの最大の原因は奢りです」。過去の栄光におぼれ、新しいもの、困難なものに挑戦する気迫を失ってはならない。「企業は生きています。活力のある企業は栄え、活力を失った企業は衰えます。一度守りの姿勢になった企業は衰退の一途をたどるのみ」。

松下電器が「家電王国」として絶頂期にあったとき、山下さんは企業の中身をガラリ作り変える決断を下したのです。「家電王国」から「総合エレクトロニクス企業」へ。情報機器を掘り下げ、通信・コンピュータ分野に進攻する。OA、FAに大きくウィングを広げ、何より、半導体を圧倒的に拡大する。

そしてグローバル化の最先頭に立ちました。大胆に海外生産を進め、先端技術をどんどん海外に移転する。そうすることによって自分自身=日本本国を否応なく、次の先端技術を創り出さねばならない立場に追い込んでいくのです。「一度守りの姿勢になった企業は衰退の一途をたどるのみ」なのですから。

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