震災被害と戦う「熊本の秘湯」復興までの4年間 「地震被害は4年くらいでは何も片付かない」

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「ただお金を儲けたい思いではこんな苦労はできません。医療の発達した現代と違って、ここが建てられた昔は戦の傷や病気に苦しんだ人たちがなんとか治療の手段を求めて温泉地に通っていました。地獄温泉ももともとそういう方たち向けの湯治場として営業してきました。

ここを建てた先祖は、そんな人たちに少しでもくつろいでほしい、ゆっくり滞在してほしい、ここで体を癒やしてほしい、そんな信念があったからこそ施設を充実させていったのでしょう。だから、これからもその役割を引き継いで守っていきたいと思いました」

復興当初の計画では、東京のコンサルタントからのアドバイスも入り、この施設を全室離れで1泊数万円の非日常感ある温泉旅館にする計画もあった。けれど、そんなときにこの施設を建てた先人の思いに触れ、河津さんの心は決まった。湯治場としての本来の役割、誰でも来られて、傷ついた人に寄り添えるような、そんな姿が今までの地獄温泉のあり方であり、これからのあり方でもあると。

「だから、ある程度の値段で泊まる旅館も再建しつつ、低価格で長期滞在しやすい自炊宿は絶対に残すことにしました。静かで美しい自然環境にいい温泉、ゆっくり静養できる環境は整っていますし、それを守りつないでいきたい」

人里離れた山奥にある地獄温泉は、日常の喧騒を忘れさせてくれる(筆者撮影)

その信念に共感してくれた熊本県玉名市に事務所を構える建築士の村田明彦さんと一緒に計画を進めた。震災当時からボランティアで泥出しの手伝いに来てくれていた縁だ。

先人の仕事を受け継いでつないでいく。その信念は建物にも通っている。災害を生き残った古い建物を生かしつつ、新しい技術や建材でさらに強く支えていく設計にした。老朽化していた部分にも手を入れて、脱衣所の寒さ対策をしてより心地よく過ごせるように配慮。

すずめの湯(筆者撮影)

「施設の柱を200年間大切に磨いてきましたが、こうして新設されたところはこれから先さらに200年大切に磨いていく。そうして積み重ねていきたいです」

改修中の元湯。改装後は「元の湯」に名を改めた。石風呂だった元湯の石をそのまま使い、施設は新しく快適にしつつも昔の面影を残している(筆者撮影)

2019年4月16日に、3年ぶりに営業を再開した。いちばん被害の少なかった「すずめの湯」のみで、日帰り入浴を受け付けるように。

再開にあたっては水の苦労を避けたいとの願いを込めて、「清風荘」の屋号からさんずいを取り「青風荘.」に名前を変更。青く爽やかな風が吹き抜けていくような美しい屋号は、阿蘇の地にふさわしく感じた。

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