震災被害と戦う「熊本の秘湯」復興までの4年間 「地震被害は4年くらいでは何も片付かない」

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そうやって前へ進む河津さんたちを支えたのがたくさんのボランティアの存在だ。

とくに苦労したのが土砂の搬出。旅館の解体をする前にまず土砂を出さなくてはいけないが、手の付けようのないほど旅館を埋め尽くし、水を吸った畳が重くなり、20分も作業すればへとへとになったそうだ。

土砂の搬出ボランティアの方々(筆者撮影)

「正規のボランティアは役場を通さないと来られないんですけど、ここは当時危険地帯だったので来ていただくのが難しくて。そこで独自に保険に入っていて動ける体制をとっていた民間のボランティア団体の方々が駆けつけてくれました。必要な装備も自分たちで用意してくださっていて、災害直後のいちばん大変な時期に本当にありがたかったです。3000人以上に来ていただいたでしょうか」

2020年7月の再開を目指す

現在は、熊本地震本震から4年目の今年2020年の7月に宿を再開するのが目標だ。しかし、河津さんはこう続ける。

「地震から4年とかまだ区切りたくないし、感想も言えない。スタートはもっと先だから。それだけ地震というのは人々に大きな影響を与えます。4年くらいでは何も片付かない」

地獄温泉は古くから災害と共にあった。河津さんの母親が若いころにも大水害が起こったし、それ以前にも2~3回はあったかもしれないという。

けれども、ここには唯一無二の財産がある。絶え間なく湧き続ける温泉だ。ここにしかない自然の恵みだからこそ、別の土地でというわけにはいかない。傷ついた人を癒やすためにこの土地を切り開いてきた先人の思いを受け継ぎつないでいくために河津さんたちは奮闘し続けている。

震災後は久木野で避難生活を送っている。そこから毎日南阿蘇の風景を見て、よりいっそう生まれ育ったこの土地への愛着が高まったという。雄大な山を背景に広がる阿蘇の風景は、夏は緑が輝くように美しい。震災直後はブルーシートやむき出しの山肌など痛々しい景色を見せていたが、ゆっくりと着実に自然は元の姿を取り戻していく。その様子に感動を覚えた。

自然災害の多い日本。これからも地震や台風、さまざまな災害は避けられない。

「それでも、復興できるという姿を見せたいし伝えたい。その1つの例として頑張る姿を見せられたら」

横田 ちえ ライター

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よこた ちえ / Chie Yokota

鹿児島在住。WEB・雑誌での執筆のほか、企業のオウンドメディア運営やパンフレット製作など幅広く活動。日ごろから九州を中心に全国あちこちを巡り、取材テーマを模索している。最近特に力を入れているテーマは離島や温泉。

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