「ダウン症の娘」を伝える授業で心に響く真実 福岡で元教諭の体験談が感動呼び700回以上に
ダウン症の次女に家族はどう向き合ったのか
ーー梓さんのことを伝える授業を始めたきっかけは?
2002年、私が担任していた5年生に授業で話したところ、お子さんの話を聞いた保護者から「私たちも聞きたい」と言われて、保護者向けにお話しました。すると少しずつ他の小学校からも声がかかるようになり、17年間で700回近く出前授業や講演会をするようになりました。
ーー梓さんがダウン症とわかったとき、どんなお気持ちでしたか?
産後すぐ、心臓の音が弱いので検査を受けるようにと医師に告げられ、梓だけ救急車で総合病院に搬送されました。そして1週間後、梓の心臓には穴が開いていて、ダウン症であることを夫から聞きました。私と夫は大学のボランティアサークルでダウン症の子と接したことがあったので、少しは理解しているつもりでした。
でも、いざわが子となると動揺してしまい、私は仕事をしながら育てていけるかなと不安におしつぶされそうで……。ちょうどその頃、私は教師に向いていないかもと悩んでいたけど、「やっぱり教師の仕事が好き。続けたい」と気づくことができたのは梓のおかげです。だから気持ちを切り替え、ダウン症の梓を受け入れてくれる保育園を探しました。
ーー梓さんは次女なので、兄姉にどう伝えるか悩んだのでは?
梓が生後3か月の頃、お兄ちゃんは小3、お姉ちゃんが小1。4人でお風呂に入っているときに伝えました。「梓はみんなと違うところがあるから聞いてくれる? 梓はゆっくり成長していく子どもなんよ。だからひらがなを書けるのもいつになるか、わからん」と。
すると息子が「え、自分の名前くらいは書けるやろ」と言うから、「もしかしたら、ずっと書けんかもしれん」と答えました。息子はじっと梓の顔を見て、何と言ったと思います? 授業で子どもに発表してもらうと「何で?」「僕が教えてあげる」「ゆっくりできればいいよ」などと答えてくれます。
実際、息子はこう言いました。「お母さん、こんなにかわいっちゃもん。いてくれるだけでいい。何もできんでいい」。私は涙が止まらず、顔を洗って気づかれないようにするのが精いっぱいでした。
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